| [建築] 2004.12.15 中谷礼仁 |
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歴史の合成に関するノート デザインと歴史とをつなぐ良書ガイド歴史工学のためのデザイン原論 |
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数年前に専攻を建築史から歴史工学へと先鋭化した。勝手にたちあげた学問領域なので社会的認知度は低いのではあるが、今回はその領域からみたデザイン原論について紹介したい。まずはそもそもの歴史工学について。 当方はこれまで建築史学つまり過去の建築的事物を研究の対象としてきたわけだが、ある日散歩をしていて、当然検討すべき命題が全くの手つかずであったことに気づいたのであった。それは目の前に古墳が突然出現したときであった。計画道路は見事にその古墳を避けて通っていた。つまり過去の事物のいくつかは、規模の大小にかかわらずこのようにして、ことさら意識もされないうちに、現在に強大な影響を与えているではないか。過去に作られたものとはいえ、そこにある限り、それは現在的なものとして扱わざるを得ないのではないか、と考えたのである。むしろ現在は過去からの投影によって成り立っている。そのとき以来、私をとりまく都市は形容しがたい可能的な事物の集積になってしまった。この経験をもとにして過去の事物と現在との関係、その調和的なありようを検討しようとする学問の必要性を思い立ち、それを歴史工学と名づけたわけである。 なぜ「工学」かというと、先ほどのような観点から過去の事物を考える場合、これまでの歴史主義や系譜学は補足的な役割に後退し、より普遍的な見地−「工学」を必要とするからである。また両者の調和的な関係を検討するわけであるから、それはデザイン論にもならざるを得ない。このような意味で、同世代の研究者や建築家、そして当方の研究室の学生たちと一丸となってこれまでいくつかの歴史工学的デザイン論を提出してきた[*1]。 これら一連の研究の端緒において、私たちにきわめて深い影響を及ぼしたデザイン原論がある。その書物とはクリストファー・アレグザンダーによる『形の合成に関するノート』(1964、日本語版は稲葉武司訳、鹿島出版会、1978年)であった。同書は一切無駄のない強力なセンテンスの集合体であり、またその含意が非常に奥深い(翻訳も的確)。「形の合成」のプロセス、つまりはデザイン行為の過程についての分析書なのであるが、先の古墳の現在的あり方をも含みうる射程を内に秘めている。 ●デザインの最終の目的は形である 同書の冒頭(「適合の良さ」p.12)においてアレグザンダーは、デザインの目的とするところを以上のように総括する。このシンプルな定義からすれば、形の決定に寄与するテクストが、端的にデザイン論なのである。この観点に立てば建築論には少なくとも二つの種類がある。 ひとつはアレグザンダーの定義における論であり、ある諸問題、諸条件を前提としてそれに対応する形を具体的に決定しようとするものである。そしてもう一つは建築形態を何らかの社会的反映物ととらえ、そのコンテクスト(社会背景)をこそ導きだすものである。すぐれたデザイン論はその両要素を含みうるが前者抜きでは成り立たない。このような意味でのすぐれたデザイン論を、建築史学の成果の中から見いだすことは難しそうだが、意外とある。過去の歴史意匠という学問はむしろそのようなものであったからである。都市類型学ティポロジアを初めて本格的に紹介した陣内秀信『都市を読む イタリア』(法政大学出版局、1988年)、建築家の外的条件と内的条件を描き切った藤森照信『丹下健三』(新建築社、2002年)、日本建築の様式変遷が生産される様を描いた中川武『建築様式の歴史と表現』(彰国社、1987年)、また磯崎新の建築論群は両要素の比重を煩雑に変えつつ生き抜いてきたがとりわけ『建築行脚』(六耀社)シリーズは、歴史的事物へ直接対決したような決定稿である。また基本的文献ではあるがウィトルウィウスの『建築書』(森田慶一訳、東海選書、1979年)は、多様な素材、社会的要求を具体的な建築の姿へとまとめあげようとする姿勢においてまさにデザイン論として読むことができる。 ●問題のみがデザインを要請する 「少し考えてみると分かるのだが、デザインの問題は、過去の問題に対する、過去の解決の中に我々が見つける誤り、という意味でしか、それを説明することはできない。」(「定義」p.87) では、デザインという行為はどこから来るのだろうか。それはもちろん作家の内発的な創意のみによるのではない。その主体を突き動かす外的条件−「危機」−がデザインを生み出すともいえる。つまり問題がなければ何もデザインする必要はないし、するべきではない。この命題は言葉を変えれば、デザイン可能な状態は問題発見いかんにかかっているといえる。すぐれた問題の発見は、ほとんど発明である。 問題発見史とでもいうべき書はいくつかある。大田博太郎『建築史の先達たち』(彰国社、昭和58年)は明治以来の日本の建築史学の推移を当時を代表する建築史家に事よせて描いたものである。急逝した大正時代の建築史家・長谷川輝雄の形態学的寺院復原[*2]をはじめ当時の建築史学が創意溢れる問題学であったかを知ることができる。同様の意味で都市史研究者・故野口徹の諸成果[*3]も受け継ぐべき作業である。 また問題の連鎖としての芸術作品の系譜を初めて普遍的に描こうとしたのがアメリカの建築史学者・考古学者であったGeorge Kubler "The Shape of Time, Remarks on the History of Things"Yale University press,1962であった。現代美術にも深い影響を与えた著名な本であるが、40年以上を経てようやく日本語版が出る見通しとなった[*4]。 ●良いデザインを確認する直接的な方法はない アレグザンダーの本の中でいちばん興味深くかつ不気味な事例が、「定規の金属をあてて水平を得る方法」である。これは金属面にインクをたらし定規をあてることで、水平でない部分にインクが溜まり可視化されるというごく一般的な方法である。しかしアレグザンダーはこう述べる。「おかしなことに気がつく。不思議なことに、この方法は良い適合を確認する直接的で実用的な方法を示してはいない。我々は高い部分が残すインクの跡をみると、悪い適合があることを知る。実際は、良い適合が分かるのはその反対の見方によってのみ、高い部分が無くなったときに限ってなのである。」(p.18)彼がこの発見を同書のデザイン論の主軸に据えたことは、きわめて独自であった。良いデザイン(適合)はひとつ創造されるのではなく、問題を取り除いていくこと、直接感知できない「問題のないもの」全体なのであって、それは「すべての可能な不適合の選言」(P.19)なのである。この定義の射程は巨大である。というのも、もし我々が常日ごろ行うデザイン行為が実はたまたま目についたかのような不適合を直そうとしていくだけのものであり、実はその背後にその行為を意味付ける不可視の全体が潜在しているというわけだから。デザインは可視化された問題と見えない調和ー「無自覚なプロセス」ーとの間の動的平衡関係(homeostatic)なのである。アレグザンダーはこれが人類の作り上げてきた伝統的環境の質を保証しているとした。これにてようやく計画道路と古墳はつながったのであった。磯崎新によるデザイン論「見えない都市」で始まる都市デザイン研究体『日本の都市空間』(彰国社、1968年)は、このような視点で見直す必要がある。 なお『形の合成に関するノート』は絶版になって久しいが、復刊ドットコム[*5]で投票すれば、出版元を動かすかもしれない。健闘されたい。 初出:日本建築学会発行『建築雑誌』2004年11月号 註 *1 清水重敦(奈良文化財研究所)、宮本佳明の環境ノイズエレメントなどと共同。また同様の動きはアジアの諸地域の建築史のフィールドでひろがりつつある。歴史工学的論文については、中谷他「弱い技術について / 近代大阪長屋群の増改築手法におけるその特性」技術報告集vol.18,2003年12月、同「セヴェラルネス 事物連鎖と人間」連載『10+1』No.32-、それを都市的観点から検討したのが、田村他「都市化された古墳 古市・百舌鳥古墳群を対象として」2004年梗概集F-2分冊, p.291、中島他「被爆後広島の都市再生過程に見られる破壊の影響」2004年梗概週,F-1分冊,p.599、都市連鎖研究体「都市は連鎖する」『10+1』No.30「都市はたたる」同No.32である。 *2 残念ながら彼の業績を知るのはきわめて困難である。参照:長谷川『長谷川輝雄氏遺稿集』昭和二年、同書内におさめられた論文で彼は「目的論的建築史学」という重要なキーワードを提出している。 *3 『日本近世の都市と建築』法政大学出版局など。オンデマンド版で購入できるらしい(2004年4月)。 *4 第二次資料研究会訳、加藤哲弘校閲、岡崎乾二郎付論。中央公論美術出版より2005年度に刊行予定。 *5 http://www.fukkan.com/ | ||
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