2004.01.05. RAM LAB(矢崎衣良・田口卓臣 編)


C・ダグラス・ラミス
「憲法改正はタブーだったか」
    C. Douglas Lammis
『憲法と戦争』晶文社、2000年

【概要】
ダグラス・ラミスは、「改憲論議自体をタブー視する風潮がある」と主張する「保守主義者」に対して反駁する。日本国憲法の改変は、制定以降ずっと半暗黙の中心的な政治課題であった。自民党の政治家が「改憲」発言をするとき、それは反発の強さを測る一種の「世論調査」であり、またそういう発言に世論を慣らす意味合いもあったからだ。のみならず保守派による「解釈改憲」戦略(解釈のみを示し、「改憲」をめぐる議論は巧妙に避ける方法)は大成功をおさめた。「解釈改憲」の積み重ねによって、国民は「大きな改憲はなかった」という印象をインプットされてきたからだ。かくして「軍事力を持たない」(憲法第九条)から「軍事力を持つ」(自衛隊)への「大きな変化」が隠蔽されたのである。

他方、突っ込んだ議論がなかったことは事実であると著者は言う。第二次大戦後の日本にとって「なんとなく平和」は常識であり、日本以外の多くの国にとって「なんとなく戦争」は常識であった。この思考の麻痺ゆえに、前者においては「本格的な軍事力を持つべきか」という議論が、後者においては「軍事力を放棄するべきか」という議論が真剣に公になされてこなかった。そもそも「軍隊とは何なのか?」という視点が欠落してきたのである。なかんずく「軍隊を持ちたい理由(改憲論者の本音)」が明かされることは稀である。「侵略したいから軍隊がほしい」、「いい商売になるから軍隊がほしい」、「国の経済を景気よくするために軍隊がほしい」、「若い男たちの性格・精神をよくするために軍隊がほしい」、「国内の秩序・しつけをよくするために戦争をしたい」などなど。

著者はさらに視点を変え、「もし北朝鮮が日本を侵略してきたらどうするのか?」という論法によって軍隊の必要性を主張する意見を取りあげる。彼はこの「もし○○したらどうする論法」の役割を評価しながらも、この論法を取るのであれば「自分の立場に都合のいい質問だけではなく、あらゆる角度からの質問について冷静に考えてみなければならない」と指摘する。そのうえで彼はさまざまな「もし」を想定してみるのである(「それはありえない」「その可能性は低い」という解答は、この議論の方法にとって意味をなさない)。そこから炙り出されてくるのは、「強い軍隊を持った政府の国民が(中略)必ずしも安全を保障されて幸せになったとは限らない」という二十世紀の歴史の教訓である。

【抜粋】
「もし日本が『戦争のできる国』になって、北朝鮮を侵略したらどうする?」

「もしアメリカ軍あるいは日本軍が、『北朝鮮が日本を攻撃した』という事件をでっちあげて、それを理由に北朝鮮を侵略したらどうする?」

「もしアメリカ軍が、北朝鮮あるいは他のアジアの国へ『人道的介入』という名目で攻撃を仕掛けたらどうする?」

「もしアメリカがまったくの国内政治問題を解決(隠蔽)するために、アジアのどこかで戦争を仕掛けたらどうする?」

「もし中国と台湾とのあいだで戦争が起こり、アメリカが台湾側に介入したらどうする?」

「もしアメリカとどこかの国が核戦争を始めたらどうする?」

「もし自衛隊(日本軍)が、海外ではなく国内で攻撃を開始したらどうする?」

【参考】
ダグラス・ラミス著作目録
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/5845/lummistyo.html

米兵・自衛官人権ホットライン
http://www.jca.apc.org/gi-heisi/

9条連
http://www.9joren.net/

【参考文献】
ダグラス・ラミス『ラディカル・デモクラシー ──可能性の政治学──』岩波書店、1998年
ダグラス・ラミス『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』平凡社、2000年
ダグラス・ラミス著『なぜアメリカはこんなに戦争をするのか』晶文社、2003年
ダグラス・ラミス著『憲法と戦争』晶文社、2000年
ダグラス・ラミス、加地永都子共著『ラディカルな日本国憲法』晶文社、1987年
池田香代子訳(ダグラス・ラミス監修)『やさしいことばで日本国憲法 新訳条文+英文憲法+憲法全文』マガジンハウス、2002年
池田香代子訳(ダグラス・ラミス監修)『世界がもし100人の村だったら』マガジンハウス、2001年

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