2003.08.18 攝津正

「シャヒード、100の命」展:ともだち100人できるかな━━死者との交換

1.

 2003年8月10日(日)、東京会場での展覧の最終日に、「シャヒード、100の命」展に行った。その前日に、日仏会館1階ホールで催されたシンポジウム「パレスチナ・芸術の可能性」(出席者:アーディラ・ラーイディ、サミール・サラーメ、岡崎乾二郎(美術家)、司会:針生一郎)に行き、展覧会にも行きたくなったからだ。勤めているお店 での徹夜明けで、軽躁状態で、歌いながら先ず知人に連れられて二丁目のお店に行った。そのお店と新宿公園で時間を潰してから、今度はわたしが知人を連れて、二人で展覧会に行ったのだ。

 わたしは独りで興奮していて
「ともだち100人できるかな、みーんな死んでるともだち100人できるかな」
と大声で歌いながら朝早い新宿の街で踊っていた。ともだち100人できるかな?━━おお友らよ、これから友ができるけれど、すでにその友はいない。━━なぜなら、みんなすでに死んでしまっているのだから。


2.

 キッド・アイラック・アート・ホールはすぐに見つかった。わたしは地下のブックカフェでカタログを買い、ホールに入っていった。会場内は薄暗く、静謐だった。女装し、胸に「シャヒード、100の命」展のチラシを縫いつけた躁病のプラトニスト、わたしだけが浮いていて、奇声を発したり、奇矯な身振りをしたりした。

 この日は暑かった。でもホールのなかは冥界みたいに冷んやりして気持ちが良かった。自分もなかまに入ってシャヒード100人とともだちになれるかのようだ。展示はシンプルで、名前が記された札、写真、それと遺品があるだけ。ともだちはみんな、みんな、みーんな死んでいる━━決して生き返ってくることはないのよ、と心のなかで呟く。この人も死んでいる。あの人も死んでいる。みんな死んでいる。けれどわたしは生きている。わたしの知人も生きている。でも、ほんとにそうかしら?

 一つ一つの遺品に注目してみた。特に高齢の方の遺品には、一体何なのかよく分からない遺品が多かった。布の断片? 衣服? それとも何か別の物? それに対して、年齢層が若くなってくると、よく分かるものが出てきた。写真や手紙、証明書、それから特に、サッカーボールが幾つも。幾枚かのCDもあったし、ゲームボーイみたいな携帯用のゲーム機も一台あった。それとどの年齢層にも通じて、靴が多かったのが印象的だった。今でも使えそうな道具、ドリルやシャベルもあった。シンポジウムで岡崎さんが言及していたように、それらの道具は生きていて、生き生きとしていて、わたしたちに語りかけてくるかのようだった。奇妙な転倒。人は死んでいる。道具は生きている。道具━━オブジェが語りかけてくる。道具の持ち主の日常を、(今は失われた)生を、偶然の一撃を。ここで使用者と使用される物の関係は逆転している。語るのはここでは人ではなく物なのだ。人は写真の奥で笑っているか、気難しげな表情をしているか、悲しげな顔をしている。死んだ人とともだちになるには、仲立ちとして、物が必要なのだ。物もない場合は? すべて焼き尽くされ、破壊され尽くされてしまった場合は? その場合の物質的記憶は何処に宿るのか?━━わたしには分からない。しかし、そういう極端な証人も遺物もない場合もあるかもしれないけれども、とりあえず今ここには、遺物が現実にあるということ、遺物を前にしているということ、そして遺物を介して死者たちと「交換」━━コミュニケーションしているということは分かる。おお友らよ、友というものはない。それはともだちが死んでいるからではないか。死んだともだちとの「交換」こそが問われているのではないだろうか。


3.

 人間には顔があり身体があるけれども、それを数に還元して暮らしている。例えば、ウェブサイトのアクセス数を数えるとき、単に数を数えるのであって、せいぜいリモートホストを確認するくらいが関の山で、見に来てくれた人の顔や体つきまでをも触知するわけではない。遠くの死者、戦争や戦争と呼ぶにも値しない一方的な虐殺の場合も同じだ。一昨日は何人死に、昨日は何人死に、今日は何人死ぬ。このようにして<情報>という頽落したかたちでのみ、他者の存在の痕跡が伝え届けられる。
 しかるにこの展覧会、「シャヒード、100の命」展は一つの奇蹟であって、一度数に還元された死者たちが再び顔と擬似身体(遺物)を取り戻したのだ。死者たちは生きている。生きてここにいる。わたしたちの目の前にいて、話しかけてくる。
 あのサッカーボールは、あのシャベルは、あのドリルは、あのゲームボーイは、シャヒードたち、子どもたちの身体の一部━━その延長(拡張)としてあったのではないか? そうであれば、脳が、身体が死んだ後も、物質的記憶を身に宿し続け、それを語り続けて止まないのも当然のことではないか? 会場は唯物論的降霊術、超越論的なコミュニケーションの場と化す。シャヒードたちは生きている、生きてここにいる、逆に生きていながら死んでいるのは<わたしたち>の側ではないのか? 何の資格があってわたしたちは生きているといえるのだろう。息をしているからか。ただそれだけか。生物的にいって生き続けているからというだけの理由か。シャヒードたちには大義があり価値があり、そして日常があり生活があった。<わたしたち>には━━と いうような言い方が傲慢に響くならば、<わたし>の日常には大義も価値も、そんな崇高なものは一切ありはしない。だとすれば、 》シャヒードのほうがわたしよりも生きており、わたしのほうがシャヒードよりも死んでいる《 ということになりはしないだろうか?生者が美術品として死者(の一部である遺物)を鑑賞しているのではない、生きながらにして死者であるかのごとくのわれわれ(=ゾンビ)がシャヒードの非有機的生命の一端に触れているのだ、といえないだろうか? はっきりいえば、遺物を介して、わたしはシャヒードから生命を分有されているのではないだろうか? ━━特に子どもたちから、あのサッカーボールやゲームボーイや靴から、生命の微光を照らされ、その恩恵に浴しているのではないだろうか?


4.

 シンポジウム「パレスチナ・芸術の可能性」に話を戻したい。時間切れで訊ねることができなかったけれども、わたしが最も訊ねたかったことは二つのアンチノミー、(非-)国家を巡るアンチノミーと生 / 死を巡るアンチノミーである。ひとつは既に書いたとおり、シャヒードが生きており、<わたしたち>或いは<わたし>がのほう死んでいるという生 / 死の捩れのアンチノミーである。もうひとつの国家のアイデンティティに関わるアンチノミーについて、以下で述べることにしたい。

 文化財は国宝として国家のアイデンティティを保持しているのだという。では、「シャヒード、100の命」展のような場合、或いはアーディラ・ラーイディさんやサミール・サラーメさんが説明してくださったようなパレスチナ芸術のような場合は? 限界状況における限界芸術(1)。サラーメさんが語ったように、美術教師がいない、画材がない、美術館がない、芸術運動に必要不可欠である評論家がいない━━にも関わらず「パレスチナ美術」がある。しかも破壊され尽くされてさえ、完璧な仕方で存在する、いや破壊し尽くされたその瞬間に完成(実現)しさえするのだ。シンポジウムで最もユーモアが溢れ、かつ最も緊張が走ったのは、岡崎さんが当日配布された資料集から次の箇所を引用した瞬間だった。

「第2次インティファーダが始まると、イスラエルの弾圧は熾烈を極め、外出禁止令、家屋破壊、土地没収は加速し、チェックポイントは増設され、駐在のイスラエル兵の気分次第で閉鎖された。また巨大な戦車が街を占拠して徘徊し、路肩に駐車してある車をスクラップしながら突き進んだ。押しつぶされた車がそこら中にあったので、車を集めたインスタレーションの作品展を思い立ったのはヴェラ・タマリだった。ラマッラーの市街地から通り1本隔てた住宅地に居住していたタマリは、その前庭に押しつぶされた車を集めて積み上げ、人びとを招待した。
作品を構成する車は、ラマッラー、あるいは近隣に住む誰かのものだったから、作品の意味は観衆の眼に明らかだった。そしてイスラエル軍が、この展覧会に花を添えた。
展覧会場にブルドーザーで乗り込むと、積み上げられた車の山に襲い掛かって再び押しつぶしてみせたのである。イスラエル軍の、犯行声明にも似たこの行為の参加で、展覧会は期待以上の成功をおさめた。パレスチナ民衆は、このインスタレーションを完全に理解し、イスラエル軍は、インスタレーションの一翼を担ってしまったことには気づかなかった。1982年、ベイルートでパレスチナ美術館を破壊した時同様、「敵方」の文化(芸術作品)を破壊してやったと思い込んでいるのである。
野蛮は世界の認識に追い付かず、20年前に、つまりは50年前に、だから100年前に留まったままである。(ヴェラ・タマリ/スレイマン・マンスール『「被占領地におけるパレスチナ美術」その後』八鍬瑞子訳)」

ここにはアイロニーではなく、死刑囚のユーモアのようなユーモアがある。イスラエル軍は、自分らがしていることを知らずにそうした、つまりインスタレーションを完成させたのだ。『新約聖書』がイエスの最後の言葉として伝えている言葉のように(2)、或いはマルクスが『資本論』でいうように、「彼らはこのことを知らない。しかし、彼らはこれをなすのである」(3)。

 岡崎さんがいうように国家のアイデンティティを保持する国宝とよばれるものの逆説は、ひとたび国宝に指定されると、その物がたとえ崩壊(灰燼に帰そうと)しようと永遠に国宝でありつづけ財として償却されることがない(つまり国宝は財_物質の本性と矛盾する)という点にあったとしたら、この、あたかもジャン・ティンゲリーの破壊的ストラクチュアNO.1のようなインスタレーション=パフォーマンスは、過去を物質として(国宝のように)固定することなく、まさに現在進行形で、批判すべき現実をそのまま括弧にいれ対象化する。いかなる破壊が起こされようと、それを批判的に捉える眼と手(それが芸術という活動の意味である)は決して劣化もしないし滅びもしない。ここで確保されるのは そうした不滅の活動が持つアイデンティティである。ひき起こされることが、如何に残虐でそして予測を超えていようと彼・彼女らをおびやかすことはもはやない。何よりも彼・彼女らは(そしてわれわれも)生きているのであり、それらの暴力が、いかに彼・彼女らを特定の点(数)へ還元し消去しようと計ったとしても、その点(痛み)を乗り越え変革していく、生きた認識の力は、決して消去できず持続していくからである。

 パレスチナのような土地において━━国家なき国家においてこそ、死者が語るように、芸術は生きつづける。しかし何処へ? (非-)国家のアイデンティティ、アイデンティティならぬアイデンティティ? 国家の彼岸にあるかもしれない、どこにも帰属しない私たちへの開け?

補註1.
 一説によれば、 money という言葉の語源は 記憶警告 に由来するという(4)。この意味で、遺物は money にほかならない。但し、 生きた貨幣 といわれるような極限形態とはまた正反対の意味での、 限界貨幣 だ。それは死者との交換の媒体であり、誰であれ不可能なものの巫女にしてしまう仕掛けなのだ。言い換えれば、誰であれ、この世とあの世を往還できるトランスした存在、この世とあの世の秩序を組み替える存在に変えてしまうようなメディアだ。  わたしは、自分のやっている自由通貨 metaが最も必要とする「交換」こそ、死者との「交換」にほかならないと直感した。地域通貨をやる人間は、やれ、売る物がない、買う物がない、と不平を言う。彼・彼女らは正しい。地域通貨で、或いは通貨ならぬ通貨で取引しなければならないものなどほとんどない。しかるに は、稀有な例外である。これこそ、もうひとつの通貨で行われなければならない交易だ。死者は生きていることを示すために。

補註2.
 わたしはイラク攻撃の前夜、不安のあまりヒステリーの発作を起こして、奇矯なメールを知人にも知らない人にも送りまくったことがあったけれど、パレスチナとのフェアトレードをしている方が書き送ってくださった、

》パレスチナに住み続けること自体が「非暴力抵抗」です

》パレスチナは人が住んでいる、住める場所なのです。

という「住まう」という言葉の意味価の重さには量り知れないものがあると感じる。「シャヒード、100の命」展には副題があって、「パレスチナで生きて死ぬこと」と題されている。遺品━━道具や玩具や写真や布地や━━の持ち主は生きていたのだ。遺品が証言しているのは死ではなくて生なのだ。遺品は

》パレスチナは人が住んでいる、住める場所なのです。

と囁き続けている。と同時に、その「住まう」ありようがいかに残酷なものでしかありえないかも語り続けている。


(1)「限界芸術」については、RAM DEMO SITEの「さまざまな声」の欄に掲載されている北川裕二のエッセー、『「限界」の技術に向けて──セキュリティ部族社会を脱するための』を参照していただきたい。

(2)『高橋悠治リアルタイム1 グバイドゥーリナ』の「7つの言葉──バヤーン、チェロ、弦楽オーケストラのための(1982)」の第一楽章で唱えられる、「ルカによる福音書」からの言葉。「父よ、彼らをお許し下さい。彼らは何をしているのかわからずにいるのです。」

(3)マルクス『資本論(一)』向坂逸郎訳、岩波文庫、p134

(4)デイヴィッド・ボイル『マネーの正体 地域通貨は冒険する』松藤留美子訳、集英社、IDBN:4-08-773366-1、p17。

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