みもみのページのみもみ氏に情報を提供していただいた。御礼申し上げる。
馬橋駅東口−馬橋駅入口−三叉路−中根−新作−競輪場前−上本郷二丁目−上本郷一丁目−花島−竹ケ花−金山神社−根本−松戸一丁目−松戸駅−春雨橋−警察署前−角町−葛飾橋東詰−江戸川ゴルフ場前−東金町七丁目−東金町五丁目−半田稲荷−金町ガード脇−金町広小路−金町二丁目−新宿郵便局−亀有警察署−新宿一丁目−中川大橋−亀有新道入口−青戸二丁目−青戸一丁目−青戸車庫前−梅田小学校−本田警察署−四ツ木小学校−四ツ木橋−四ツ木橋南詰−東向島六丁目−東向島五丁目−東向島広小路−東向島一丁目−向島五丁目−向島二丁目−言問橋−本所吾妻橋−浅草雷門−浅草寿町
1953年(昭和28年) 6月 京成バス、松戸駅〜浅草間を開業。(松戸市史)
1954年(昭和29年) 9月 京成バス 馬橋線馬橋〜松戸〜浅草寿町間を開業。(広報まつどによる。社史では8月1日。)
松戸市の年表によれば昭和28年 (1953)6月にまず松戸駅〜浅草寿町が開通し、翌年9月(8月1日という説もある)に馬橋まで延長されたらしい。延長当時の本数は60往復で、当時としてはかなり多い部類に入る。基本的に馬橋駅東口発着であるが、駅の北にある馬橋操車場から出る便もあったようだ。馬橋操車場は馬橋駅の北寄りの、駅前通りと国道6号線の合流地点にあり、現在の停留所で言えば八ケ崎入口にあたる。昔操車場があった場所は現在トヨタの店舗になっている。
経路はまず馬橋駅を出て南に進み、国道6号線を通って北松戸に出る。北松戸の手前には競輪場があり、この路線も競輪輸送の一翼をになっていた。競輪場前〜松戸間は現在の新京成バス松高線と同じ経路、すなわち旧水戸街道を経由する。複々線化前でなので立体交差ではなく、竹ヶ花の手前で踏切を渡りそのまま松戸駅の西口に出る。そして松戸からは現在の矢切高校線のルートをたどる。葛飾橋東詰は現在の株式会社キカワ前とほぼ同位置である。葛飾橋は国道6号線の北側にあり、ちょうど外環の通る場所で外環完成後には国道298号線の橋になるはずだ。この橋をわたると葛飾区の水元公園付近に出てしまい、金町駅方面には遠回りとなる。橋を渡ってからは道なりに金町駅に出て、後は現在の都バスと同じルートで浅草寿町に出る。昔はかなりの利用客がいたのだが、相次ぐ値上げで鉄道よりも運賃が高くなると急速に存在価値が薄れ、葛飾区役所、さらには葛飾橋東詰と短縮され、常磐線の複々線化が完成する昭和46年までには人知れず廃止されてしまったらしい。1969年(昭和44年)の統計によれば運行区間は馬橋操車場〜葛飾区役所間となっており、それに松戸車庫を挟んだ区間便が加わる形になっているが、1970年の統計を見ると区間が馬橋操車場〜葛飾橋東詰間に短縮されている。
また、70年代の松戸市案内の路線図では国道6号線を経由して松戸の中心部を通らない路線もあり、これはおそらく市川駅〜競輪場前線と、浅草寿町〜金町〜八柱霊園線ではないかと思われる。二つとも臨時便であり、松戸駅を経由する必要も無いからこれが妥当な線だろう。ちなみに北松戸〜松戸間は新京成バスが、金町〜浅草寿町間は都バスが現在でも運行している。
しかしこの路線がなぜ首都圏広域市街地図集の98年版に載っているのだろうか。しかも経路が間違っており、馬橋〜北松戸間が国道6号線を経由していない。70年代の住宅地図では国道とこの地図にかかれている道がつながっていないので、首都圏広域市街地図集に載っている経路は走りようがないのである。その証拠に人文社発行の東京都地区地名総覧の昭和39年版と昭和45年版ではきちんと国道6号線を経由している。
| 松戸駅西口 | 松戸一丁目(現松戸本町) | 根本 | 竹ケ花 | 南花島 | 春日神社 | 上本郷第二小前 | 松戸新田 | 松戸新田駅入口 | 日暮 | 千駄堀or市場前 | 八柱駅入口−霊園入口−霊園坂下−中参道−霊園入口−八柱霊園 | 子和清水−公団入口−管理事務所前−星型住宅−常盤平駅 | | 牧の原 星型住宅 | | 金ヶ作 管理事務所前 | | 五香−五香駅西口−東店舗前−東集会所−−水道事務所 | 北丘 | 小学校前−富士見町−高柳新田〜藤ヶ谷新田〜金山入口 | | 六高台病院 ゴルフ場入口 | | 火の見下 藤ヶ谷ゴルフ場 | 六実駅 | 佐津間 | 下総基地・平塚・白井方面 |
松戸市の地図 (昭和54年 昭文社)に記載されている停留所を挙げた。藤ヶ谷新田〜藤ヶ谷ゴルフ場間については何故か首都圏広域市街地図集98年版(人文社)に掲載されている。詳細はみもみのページを参照して欲しい。
なぜわざわざ松戸駅から沼南町のゴルフ場まで路線を設定したのかずっと不思議に思っていたが、藤ヶ谷ゴルフ場は昭和31年に京成の手によってオープンしたゴルフ場なのである。
いつだったか、松戸駅の駅前が改良されたときに大幅な乗り場の変更が行われた。現在のものと昭和54年当時のものを比べると様々な点で異なっている。
| 昭和54年当時 1 矢切経由市川駅行 2 八柱霊園行 白井役場行 平塚行 白井工業団地行 藤ヶ谷ゴルフ場行 3 高塚療養所行 梨香台団地行 国分経由市川駅行 4 日大歯科病院行 5 江戸川台駅行 6 江戸車庫行 |
現在 1 日大歯科病院行 2 江戸川台駅行 南流山駅行 流山広小路行 職安経由馬橋駅行 3 矢切経由市川駅行 矢切駅行 国立病院行 4 市立東松戸病院行 梨香台団地行 5 国分経由市川駅行 聖徳学園行 6 矢切高校行 7 戸ヶ崎操車場行 8 三郷団地行 (東武) 新和一丁目行(東武) 9 降車場・松戸車庫行 |
この間に松戸駅の西口はしペジストリアンデッキができて様変わりしたが、バス乗り場そのものの位置はさほど変わっていないと思う。ただし、矢切高校線、戸ヶ崎・三郷方面行の路線が新たに加わり、乗り場自体は増えている。現在は矢切経由の市川行が利用している3番乗り場の後ろに使われていない乗り場があり、白井方面の路線はここから発車していたものと思ってしまったが、実際は異なるようで、みもみ氏からいただいた情報によれば、流山方面行きと同じく一番南寄りの2番乗り場を使用していたらしい。私の記憶に残っているのは平成3年末以降の松戸駅であるが、少なくともこの時点では1番乗り場は日大歯科病院行き、2番乗り場は流山方面行きになっていた。そう言えば、松戸から八柱霊園、五香、下総基地、白井方面の系統を廃止する旨の看板が出ていたのを見た覚えが有る。
高塚療養所はその後国立松戸病院となり、さらに現在の市立東松戸病院となった。
江戸車庫は現在の松戸車庫だと思う。昔は新京成バスの紙敷車庫が松戸車庫を名乗っていた。