小湊鐵道バス 塩田営業所


小湊鐵道バスの塩田営業所は主として千葉市内と内房線各駅を発着する路線を担当し、傘下に姉崎車庫、木更津車庫を置く。かつては航空隊前に吾妻車庫というものもあったようだが現在は廃止されたらしい。路線も住宅路線から朝夕のみ運行の工業団地に向かう路線、純然たるローカル路線とバラエティに富む。なお、線名は筆者が適当につけたものである。

1.路線紹介


落井椎名線

系統 平日 土曜 休日
千葉駅〜末広町〜蘇我駅東入口〜柏崎〜椎名小学校 28 28 28
千葉駅〜末広町〜蘇我駅東入口〜柏崎〜椎名小学校〜農業センター 往1
復2
往1
復2
往1
復2
千葉駅〜末広町〜蘇我駅東入口〜柏崎〜落井三又〜労災病院 復1 復1 往1
椎名小学校→柏崎→蘇我駅東口 往1 往1 0

千葉駅からの路線は末広町、蘇我駅東入口を経由して各方向に分岐していく路線と、千葉寺を経由して大巌寺に向かう系統に大別される。前者はさらに柏崎、生実方面に南下する系統と、蘇我から大網街道に向かう系統に大別される。前者の代表格である千葉駅〜椎名小学校線は1持間2〜3本と最も本数が多い。方向幕は「落井椎名」と表示するが、これは椎名小学校の手前にある落井三又と合わせた表記であろう。ちなみに放送では「落井椎名小学校」である。南生実までは市街地を走るが、椎名崎新田を過ぎると田畑が目立つようになり、住宅地と田園地帯の境界線らしき道路をうねうね走り終点に到着となる。田んぼの中に小学校が立っているほかはあまり何もない。なお、椎名小学校からは平日の朝1本だけ蘇我駅東口への区間便がある。

比較的距離の長い千葉駅〜農業センター線と千葉駅〜労災病院線は事実上壊滅状態で、農業センター線が1.5往復、労災病院線にいたっては千葉発が休日のみ1本、労災病院発が平日のみ1本となっている。農業センター線はかつてはちはら台、おゆみ野への足としての役割を担ったのであろうが、千葉急行開通後は単なる免許維持路線となっている。


明徳学園線

系統 平日 土曜 休日
千葉駅〜末広町〜蘇我駅東口〜柏崎〜明徳学園 14 14 14
蘇我駅〜柏崎〜明徳学園 4 4 4

千葉〜明徳学園線は落井椎名線の支線と言ってよいだろう。通学路線としての性格が強いが、休日もそこそこの本数を走らせている。明徳学園の設立は昭和45年なので、路線開設もその頃と思われる。なおこの路線のみ蘇我駅前に乗り入れるが、これは蘇我駅発の区間便が比較的多いためであろう。


北生実線

系統 平日 土曜 休日
千葉駅〜末広町〜蘇我駅東入口〜柏崎〜学園前駅入口〜鎌取駅 16 16 16
蘇我駅東口〜柏崎〜学園前駅入口〜鎌取駅 4 3 3

昭和30年ごろ 千葉駅〜北生実間を開設
1984年(昭和59年) 6.16 蘇我駅東口〜北生実〜鎌取駅〜千葉市原ニュータウン間を開設。(年報)
1991年(平成3年) ?   北おゆみ〜鎌取駅間を延長。(年報)

千葉〜鎌取線は千葉〜北生実線が平成3年度に延長されたもの。延長されたのは比較的最近だが、北生実まで開通自体は少なくとも昭和30年代後半までさかのぼる。通しで乗る客は多くなく、生実町やおゆみ野北部と両駅への足といった面が強い。学園前駅周辺などで宅地開発が進んできたものの、この路線に対する需要がそれほどあるわけはなさそうで、外房線の駅間距離の長さと京成千原線の高すぎる運賃に助けられ生き残っていると言えよう。本数は1時間に1本程度。ちなみに鎌取と千葉を結ぶ道路は大網街道とこの路線が通る道路しかない。赤井町や大森台駅の南に道が出来れば最短となるだろうが、起伏が激しいせいかろくな道がない。なお、千葉急行開通前は千葉駅から北生実、鎌取駅経由でちはら台中央まで運行していたという説もあるが、詳細は不明である。


白旗線・休暇センター線

系統 平日 土曜 休日
千葉駅〜末広町〜蘇我駅東入口〜白旗〜休暇センター 21 21 21
千葉駅〜末広町〜蘇我駅東入口〜白旗 8 8 8
白旗→川鉄前→千葉駅 往1 往1 0
蘇我駅〜千葉南高校 11 11 0

1986年(昭和61年) 3.3 白旗〜千葉駅〜新田町〜千葉みなと駅間の路線を新設。(年報)←廃止年次不明。

千葉〜休暇センター線は蘇我駅東入口から大森台駅を経由して大網街道に向かう路線である。全線住宅地の中を走るが、蘇我駅〜千葉南高校線や千葉中央バスの千葉駅〜白旗線などが平行するため、休暇センター線自体の独自区間はなく、本数もそれほど多くない。休暇センターや星久喜、仁戸名から千葉駅には千葉中央バスも路線を走らせており、こちらのほうが距離が短く本数も多いのだが、大網街道があまりにも渋滞するため比較的遠回りとなるこの路線も一定の存在価値があると言える。

 千葉〜白旗線は休暇センター線の支線的存在で、休日は運休となる。千葉〜白旗間は千葉中央バスが大網街道経由で路線を持っており、こちらのほうが本数は多い。

 蘇我駅〜千葉南高校線は平成4年度に新設され、休暇センター線とまったく同一経路であるが、ひとつ先の南高校まで足を延ばす。本数こそ少ないが一応通学路線である。蘇我駅は乗換駅としての役割が強く駅自体の集客力に欠けるため、どの系統も本数は少なめである。ただ蘇我駅西口の川鉄跡地の再開発が進めばどうなるかわからない。


大巌寺線

系統 平日 土曜 休日
千葉駅〜宮崎町〜淑徳大学大巌寺 42 42 30
千葉駅〜川鉄〜淑徳大学大巌寺 1 0 0
蘇我駅〜大巌寺 9 9 0

千葉駅から宮崎町を経由して淑徳大学大巌寺に向かう。川鉄を経由する便も1本だけ存在する。


八幡線

系統 平日 土曜 休日
千葉中央駅〜千葉駅〜浜野〜八幡宿駅 36 36 29
千葉駅〜浜野〜八幡宿駅 8 8 6
千葉中央駅〜千葉駅〜浜野 6 6 3
蘇我駅→浜野→八幡宿駅 往1 往1 0
浜野〜八幡宿駅 4 4 3
千葉駅〜寒川〜大巌寺 往1 0 0

かつては千葉駅から姉崎、さらには木更津まで延びていた。平成8年に八幡宿で分断された後、平成12年6月8日より浜野駅に乗り入れるようになり、1〜2年前から蘇我駅にも乗り入れるようになった。それほど広くない道をかなり飛ばすため乗っていて面白い路線だが、あまり乗客は多くない。かつて菊間団地や喜多方面からの路線が千葉まで乗り入れていたときは、千葉〜八幡宿線のみ広小路を経由していた。始点はタワラヤの前の乗り場で千葉中央駅を名乗るが、千葉駅の案内では「千葉駅20番乗場」となっており紛らわしい。千葉駅始発でもなんら不都合はないと思うが、意外にも千葉中央駅から乗る客がいたりする。


辺田線

系統(本数は小湊単独) 平日 土曜 休日
ポートタワー〜千葉駅〜大和橋〜蘇我駅 小28 小12 小12
千葉駅〜大和橋〜蘇我駅 小0
中17
小6
中12
小6
中12
千葉駅〜ポートタワー 小0
中9
小復1
中9.5
小復1
中9.5

1986年(昭和61年) 3.3  千葉駅〜千葉みなと駅〜県立美術館間を開設。(年報)
1986年(昭和61年) 6.16 ポートタワー〜県立美術館間を延長、千葉みなと駅〜千葉駅〜矢作〜蘇我駅、ポートタワー〜千葉駅線を開設。(年報)

千葉中央バスとの共同運行。結構狭い道を通るため中型車での運行である。ポートタワーへの乗り入れは昭和61年からで、それ以前は県立美術館どまりであった。一時期中央、小湊、京成の3社が乗り入れていたが、平成9年に京成が撤退、現在小湊のポートタワー乗り入れは休日のみで、平日は千葉中央のみとなっている。


美浜線

系統 平日 土曜 休日
千葉駅〜ポートアリーナ〜幸町団地 9 8 8
千葉駅〜ポートアリーナ〜幸町団地〜稲毛海岸駅 9 4 4

1987年(昭和62年) 2.14  千葉駅〜幸町団地、千葉駅〜稲毛海岸駅間を開設。(年報)

千葉海浜交通との共同運行で、中型車を使用。京葉線に沿ってひたすら走る。かつてはガーデンタウンを経由せず、幸町第一停留所を経由する便があったのだが、今はない。同停留所にはいまだポールが残るが、時刻表ははがされている。


新港線

系統(本数は小湊単独) 平日 土曜 休日
千葉駅北口〜農業会館〜新港中央市場 4 4 0

これも千葉海浜交通との共同運行路線で、中型者を使用。かつてはポートアリーナ経由だった。モノレールができてから市役所への需要がなくなり本数も激減。ルートも千葉駅北口始発の農業会館経由と変更されて現在に至る。少し前まで千葉駅行の側面方向幕は「  ←  ←  ←   ←千葉駅」だったし、もう経由しないのに「ポートアリーナ経由」のプレートを掲げているしでとにかくやる気がない。平成14年から職安が登戸海岸渚跡のそばに移転したが、現状では千葉駅発の8時台の便しか使い物にならない。千葉みなと駅まで同一経路を通るちばシティバスでは千葉駅の乗り場に職安までのアクセスが書かれた看板を掲げるなど職安に通う客を呼びこもうとしているが、小湊は特に何もしないようだ。


ちはら台線

系統(本数は小湊単独) 平日 土曜 休日
鎌取駅〜おゆみ野南〜ちはら台中央〜ちはら台駅 34 22 22

1984年(昭和59年) 6.16 鎌取駅〜千葉・市原ニュータウン間を開設。(年報)
1990年(平成2年) 7.5  千葉・市原ニュータウン〜ちはら台中央間を延長。(年報)
1995年(平成7年) 4.1  千葉急行線ちはら台駅開業に伴い、ちはら台中央〜ちはら台駅間を延長?(年報)

両方向からの乗客が見込める高収益路線。千葉中央バスとの共同運行である。ニュータウンの中の4車線道路を行くだけなので面白みはない。開通そのものは昭和59年であり、千葉中央が4月1日、小湊が6月16日にそれぞれ開設している。当初は「千葉・市原ニュータウン」が終点であった。はっきりした場所は分からないが、泉谷公園の次の停留所で地図を見る限り農業センター入口付近か南署入口付近らしい。平成元年ごろにちはら台中央まで延長され、千葉急行開通後にちはら台駅まで乗り入れるようになった。この路線はどちらかといえばちはら台の中心部とちはら台駅がかなり離れているために、ちはら台から鎌取駅に向かう客も多いようだ。


ちはら台〜帝京平成大学線

系統 平日 土曜 休日
急行 ちはら台駅〜帝京平成大学 4 2 0

1995年(平成7年) 4.1 千葉急行線ちはら台開業に伴い、ちはら台駅〜帝京平成大学間を新設?(年報)

平成7年のちはら台駅開業と同時に新設された系統。直通運転である。


おゆみ野線

系統 平日 土曜 休日
浜野〜浜野駅〜古市場〜椎名崎新田〜落井椎名〜南警察署〜鎌取駅 4 0 0
浜野駅〜古市場〜椎名崎新田〜落井椎名〜南警察署〜鎌取駅 10 0 0

鎌取からおゆみ野を経由して浜野に至る路線。平日のみの運行で、おゆみ野の東部に立ち寄るため浜野とは逆方向に遠回りをする。開通は平成になってかららしい。椎名崎新田から南警察署まではおゆみ野駅を経由しないことを除き千葉駅〜農業センターとほぼ同じ経路をたどる。独自区間の乗客はほとんどおらず、いたとしても鎌取周辺だけのようだが、今後の行く末はどうなるのだろうか。線路に沿って走ったり、田園地帯をうねうね走ったりと見所は多いのだが・・・。


大学病院線

系統 平日 土曜 休日
蘇我駅〜大学病院 小湊17 中央16 小湊10 中央12 小湊10 中央12

千葉中央バスとの共同運行路線。以前は形成も含めた三社共同運行であったが、平成13年9月5日の改正で京成担当便を2社に振り分けて撤退した。現在のところ2社を合わせてデータイム30分おきといったところである。


蘇我〜帝京平成大学線

系統 平日 土曜 休校日
急行 蘇我駅〜帝京平成大学 22 11 11

昨年12月17日に開設された新しい路線。急行便なのだが途中停留所は今のところ不明であるが、どうやら直通らしい。しかし新規路線なのにどこに止まるかという案内がまったくないのはどうにかしてほしい。何しろポールの路線図では柏崎に止まるのか通過するのか分からないのだ。


潤井戸線

系統 平日 土曜 休日
浜野〜浜野駅〜喜多 9 8 8
浜野駅〜喜多 2 2 2
浜野〜浜野駅〜喜多〜和楽の郷 7 5 5
浜野駅〜喜多〜和楽の郷 6 4 4

浜野から県道14線の旧道を走る系統で、和楽の郷から茂原駅行に乗り換えることができる。以前は千葉駅が始発であり、茂原までの通し運行もあった。本数は1時間に1〜2本程度で、千葉まで伸びていた頃と変わりない。スーパーせんどう前から茂原街道新道を外れ、旧道を曲がりくねりながら進む。やや古びた家並みと立派な塀が印象的である。神崎入口から県道五井本納線に入り、潤井戸の丁字路を右折するが、このあたり時間帯によってかなり込み合うため、バスの遅れの原因となっている。潤井戸団地から県道14号に入るが、千葉と茂原を結ぶ最短ルートだけあって交通量が多い。喜多停留所は商店の軒先にあり、ベンチもあれば自動販売機もある。ここで折り返すバスは小学校の脇の一方通行の狭い道に入り、一回りして戻ってくる。終点の和楽の郷は長柄町にあり、いわゆる健康センターの敷地で折り返す。周囲には何もないため、終バスは18時台とかなり早い。


浜野〜菊間線

系統 平日 土曜 休日
浜野〜浜野駅〜菊間団地 1 0 0
浜野駅〜菊間団地 2 0 0

1981年(昭和56年) 11.5 千葉駅〜浜野〜菊間団地線を開設。(年報)
2000年(平成12年) 6.8  千葉駅〜浜野間を廃止。

昭和56年11月5日開通で、最近まで千葉始発だった。今のところ浜野駅発が平日1本、浜野発が平日2本でほぼ壊滅状態である。ただ千葉まで延びていたころでも千葉始発が2本、浜野始発が2本だった。菊間団地へは八幡宿からも路線が延びているので、そちらを利用しろということなのだろう。


辰巳労災病院線

系統 平日 土曜 休日
八幡宿駅〜辰巳団地〜労災病院 52 43 46
市原埠頭三井造船所→八幡宿駅→辰巳団地→労災病院 往12 往11 往8
市原埠頭三井造船所←辰巳団地←労災病院 復14 復12 復7
市原埠頭三井造船所→八幡宿駅 往2 往1 0
急行 第二辰巳東3〜辰巳団地〜山木入口〜古川電工 2 2 往1
急行 八幡宿駅→古河電工 往3 0 0
労災病院→八幡宿駅→浜野 往1 往1 往1

1963年(昭和38年)ごろ ? 辰巳団地〜市原埋立地間の運行を開始。

辰巳団地と八幡宿駅、さらには大工場のひしめく市原埠頭を結ぶ路線である。辰巳団地は京葉工業地域の開発に伴い昭和30年代に計画され、工業地域内に勤務する人々の居住地として三井不動産や京成不動産などの手により建設された。建設戸数7,150個を数える一大ニュータウンの出現である。八幡宿駅からは少々離れているが、大規模な造成がしやすいということでこのあたりになったらしい。昭和39年に竣工すると辰巳団地〜市原埋立地間の路線も同時に開通したと思われるが、このほかにも辰巳団地〜千葉間の路線も開通した。千葉県開発局発行の『京葉臨海工業地帯の歩み』によると、当初の本数は30往復とある。この路線は現在ある千葉〜労災病院線と異なり八幡の陸橋経由である。当時は内房線の本数が今とは比べ物にならないくらい少なかったのでこのような路線が成り立ったのであろう。千葉〜辰巳団地線はその後八幡宿までの系統にとって変わられるようになった。数年前まで入庫便として労災病院→八幡宿駅→千葉駅という系統があったようだが、現在では浜野まで入庫便が残るのみとなっている。
 現在この路線の主力は八幡宿駅〜辰巳団地〜労災病院線と、主として朝夕に運行される市原埠頭〜辰巳団地〜労災病院の二系統である。大昔は辰巳団地〜五井火力というのもあったようだがなくなっている。市原埠頭行は八幡宿駅を経由しないが、市原埠頭からの便は八幡宿駅を経由する。市原埠頭の停留所は三井造船の正門のすぐ近くだが、かつてはここから敷地内に入り、三井造船第四停留所まで延びていたらしい。
 次に朝夕のみ運行される急行便は第二辰巳第四、東小学校入口、辰巳団地、辰巳坂上、山木、山木入口、埋立入口、富士電機前、古川電工に停車する。八幡宿駅を経由しないが、一部便のみ市原出途を経由する。また、これとは別に八幡宿駅〜古川電工間の急行便もあり、その一部は浜野から出庫便として営業運転を行う。浜野の時刻表には該当便の横に「古河創業日運行」や「古河急行」という注意書きがある。
余談だが辰巳台団地からのアクセスはバスのほかに千葉急行(計画当初は小湊鉄道二期区間)が担うはずであった。辰巳団地付近に駅もできるはずだったのだが、千葉急行が京成に吸収された今となっては実現の可能性は薄そうだ。


急行帝京平成大学線

系統 平日 土曜 休校日
急行 八幡宿駅〜山木入口〜帝京平成大学 32 24 13

1987年(昭和62年) 4.10 八幡宿駅〜帝京技術化学大学線を開設。(年報)

八幡宿駅と昭和62年に新設された帝京平成大学(開設当初は帝京技術科学大学)を結ぶ通学路線だが、一般客も利用可能。開設時は11往復だったが徐々に増便されたようだ。ルートは労災病院線と若干異なり日の出町ではなく陸橋を経由して内房線をまたぐ形で運行する。山木入口、辰巳団地、東一丁目のみ停車で八幡〜労災病院線の急行便としての役割も負っている。なお、帝京平成大学からの最終便は第二辰巳東三丁目から各駅となる。


菊間団地線

系統 平日 土曜 休日
八幡宿駅〜山木入口〜若宮団地〜菊間団地 14 7 7
八幡宿駅〜山木入口〜若宮団地 2 1 2

かつては八幡宿駅〜山木入口〜若宮団地線と県道126号線経由の八幡宿駅〜並木町〜神社坂下〜菊間団地線というまったく別の路線であった。先に開通したのは若宮団地系統で、昭和45年ごろに団地が完成するとほぼ同時に運行開始となったようだ。その後の変遷は大体以下の図のとおりで、現在の形態になったのは平成9年ごろである。昼間の菊間団地行は無いに等しく非常に心細い。

 

         


八幡郡本線

系統 平日 土曜 休日
八幡宿駅〜山木入口〜郡本〜山田橋〜山倉こどもの国 16 16 12
八幡宿駅〜山木入口〜郡本〜市原市役所〜国分寺台 6 4 2
八幡宿駅〜山木入口〜郡本〜市原市役所〜海士有木〜中央農協市西支所 5 5 0
八幡宿駅〜山木入口〜郡本〜能満〜辰巳団地 2 2 2

1915年(大正4年) ? 大野自動車商会? 牛久〜大多喜間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
?             大野自動車商会、八幡宿〜大多喜間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
1923年(大正12年) ? 小湊鐵道 八幡宿〜大多喜線を買収。上総自動車商会を組織して運行を委託。
1926年(大正15年) 6月  小湊鐵道 八幡宿〜牛久間の運行を休止し路線権を放棄。(房総の乗合自動車)
1926年(大正15年) 6月 森雄一 同区間の路線権を取得。八幡宿〜三又〜今富間もあわせて運行を開始。(房総の乗合自動車)
1926年(大正15年)ごろ 小川寿 牛久〜大多喜間の運行を小湊より受託。 (房総の乗合自動車)
昭和?年ごろ  森雄一 八幡宿〜牛久間を廃止。 三又〜今富間の運行となる?(房総の乗合自動車)
1927年(昭和2年) 12.10 袖ヶ浦自動車が設立され、森雄一の路線を継承。 (房総の乗合自動車)
1928年(昭和3年) 1.3  袖ヶ浦自動車 八幡宿〜牛久間を復活。 (房総の乗合自動車)
1933年(昭和8年) 4.14 袖ヶ浦自動車 小湊鐵道の傘下に入る。(市原市史)
1933年(昭和8年) 11.7 小湊鐵道 牛久〜大多喜間を直営とする。 (房総の乗合自動車)
1934年(昭和9年) 7.1 袖ヶ浦自動車 潤間四郎八より路線を譲受、千葉〜牛久間の運行を開始。 (房総の乗合自動車)
1935年(昭和10年) 4.1 袖ヶ浦自動車 牛久〜大多喜間を小湊より譲受、千葉〜大多喜の運行とする。(房総の乗合自動車)
1947年(昭和22年) 2.7 小湊鐵道自動車部による直営となる。(市原市史)
昭和40年代 辰巳団地〜宇部社宅〜市原出途〜宇部興産間の路線を開設。
昭和50年代前半。 八幡宿〜郡本〜山倉こどもの国線を開設。千葉〜こどもの国間の急行便も運行される。
平成元年以降  千葉中央駅〜八幡宿間の運行を取りやめ八幡宿駅〜牛久駅〜大多喜とする。
平成5〜9年ごろ 八幡宿〜郡本〜市役所〜山倉〜国分寺台線を開設。
1999年(平成11年) 4.21 八幡宿駅〜中央農協市西支所と牛久駅〜大多喜車庫に分割?

八幡宿駅から国道297号大多喜街道を郡本方面に南下し各方面に分岐していく系統である。かつては上総牛久、大多喜、長南、さらには勝浦方面まで路線が延びていたが、八幡宿〜上総牛久と上総牛久〜大多喜に分断され、さらに上総牛久〜海士有木間が廃止となり現在に至る。
 海士有木系統は平日のみ数本運行され、駅のひとつ先にある中央農協市西支所で折り返す。折り返しスペースはバス一台分がやっと入れる程度で、休日は一般車が入らないよう柵が置かれている。
 能満経由辰巳団地線は昭和40年代に宇部社宅からと五井海岸の宇部興産を結ぶ路線として開設され、昭和49年には辰巳団地と宇部興産の間を往路6本、復路9本運行されていた。その後八幡宿駅始発となり現在は朝夕のみの運行。辰巳台団地南側と八幡宿駅を結んでいる。能満の能満付近は後述する五井〜ちはら台線も経由するが、本数が少ない。
 八幡宿駅〜山倉こどもの国線は昭和50年代に開設され、当初このほかに京成千葉駅から産業道路を経由して山倉こどもの国に向かう急行便も運行されていた。急行便は程なく廃止されたらしい。山倉こどもの国は山倉ダムに隣接する公園で、ゴーカートや水遊びができる施設がある。駐車場も1000台分あるそうで、立地条件を考えてもバスで行くところではなさそう。実際公園自体は昭和46年5月に開園しているが、バスの乗り入れはそれよりも後らしい。平成に入って八幡宿〜市原市役所〜山倉〜国分寺台線が新設されたが本数は非常に少ない。国分寺台、山倉こどもの国へ五井駅からも路線が延びているので、八幡宿駅からの系統は本数が少ない。


八幡姉崎線

系統 平日 土曜 休日
八幡宿駅〜五井駅〜姉崎駅〜別荘下 38 38 31
八幡宿駅〜五井駅〜姉崎駅 7 7 0
大道下→五井駅→八幡宿駅 往1 往1 0
往1 0 0

分割された千葉〜姉崎線の南半分。データイム20分間隔で運行される。内房線に沿って快調に飛ばしていくが、乗客はそれほど多くない。大道下発の便は姉崎車庫からの出庫で、早朝のみ1便運行される。またつい最近まで五井駅西口→市原出道→市原埠頭五井駅7:04発の市原埠頭行という便が平日1本だけ運行されていた。昨年冬筆者が五井駅で待ってみたところバスがやってこなかったので、おそらく廃止されたものと思われる。この路線かつて姉崎の別荘下から出ていたらしい。これもいつまで存続したのか不明だが、市原埠頭の時刻表には「姉崎行」という時刻表記のない項目があり、数年前まで細々と運行していたことがうかがえる。


国分寺台線

系統 平日 土曜 休日
五井駅西口〜岩野見〜市原市役所〜国分寺台〜山倉こどもの国 3 3 3
五井駅東口〜岩野見〜市原市役所〜国分寺台〜山倉こどもの国 2 2 0
五井駅西口〜岩野見〜市原市役所〜国分寺台 17 17 11
五井駅東口〜岩野見〜市原市役所〜 国分寺台 16 16 7

1972年(昭和47年) 11.6 市役所の移転に伴い五井駅東口〜市原市役所間の無料バスを運行開始。(広報いちはら)
1974年(昭和49年) 8.1  無料バスを路線化。有料となる。(広報いちはら)
1986年(昭和61年) 9.1 国分寺台〜山倉こどもの国間を延長?あるいは市原市役所〜山倉こどもの国間を延長?(年報) 

 五井駅発着路線の代表格。駅と国分寺台周辺の新興住宅地を結ぶほか、駅と市役所との連絡という役目も負う。開設のきっかけは五井駅付近にあった市原市役所が現在の場所に移転したことである。昭和47年11月6日の開設当初は路線バスではなく、市が小湊の車両を借り上げ市役所と五井駅の間を往復する無料の市民バスという形であった。運行回数は市役所行が20本、五井駅行が23本である。市役所連絡が目的なので休日は運休である。また途中設置された根田、波渕停留所では市役所行が乗車のみ、五井駅行が降車のみ可能ということであった。その後市役所周辺の宅地化が進んだこともあり、市役所の向かいに建設中であった市民会館の完成を期に有料化されることとなった。実際には完成後数ヶ月たった昭和49年8月1日に有料化されている。平日の運行本数は無料バス時代とほぼ同じで、休日は若干減便されたようだ。その後沿線の開発の進展に伴い徐々に増便され、現在では1時間に2〜4本が確保され、平日昼でも立ち客が出ることもある。
 開設当初は全便西口始発であったが、平成に入り平日の深夜のみ(早朝も?)五井駅東口発着の快速便が運行されるようになり。さらに朝夕通勤時間帯はすべて東口発着となっている。これにより駅までの所要時間の短縮が図られた。また路線そのものも徐々に延長され、昭和50年代前半は市原市役所までの運行だったものが昭和61年までには国分寺台、そして山倉こどもの国まで延長された。国分寺台は市役所を中心とする住宅地の総称であるが、バス停は町外れの丘の上にあり、バス数台が待機できるスペースもある。こどもの国線は国分寺台から国道297号線を北上し、山田橋で八幡宿からの系統と合流し終点に向かうもので、本数は多くない。最近国分寺台〜山田橋間に山田橋一丁目停留所が新設された。山倉こどもの国までの間には東海大望洋高校や市原緑高校がある。ただし東海大望洋へは五井駅から急行便のスクールバスが運行されており、主としてそちらを利用するようだ。五井〜ちはら台線のみ経由していた国分寺台南郵便局周辺を一回りするようになったのは平成11年ごろである。
 余談であるが、『都市交通年報』の昭和60年度版に、「五井駅〜根田〜市原市役所」が昭和58年6月1日に25回から26.5回に、同年12月1日に28.5回に増回されている。現在根田停留所は五井駅〜ちはら台線内に存在するが、当時の根田は現在の宗田マタニティクリニック前に相当する。おそらく後述の五井〜ちはら台線の開設時に改称されたのだろう。

 平成5年現在 五井周辺図

五井駅周辺


中央武道館線

系統 平日 土曜 休日
五井駅東口〜君塚二丁目〜稲荷台〜中央武道館〜埋蔵文化財センター 15 14 14

1992年(平成4年) 9.21 五井駅東口〜君塚二丁目〜稲荷台〜山田橋〜市原市役所〜岩野見〜五井駅東口間を開設。(広報いちはら)
1998年(平成10年)ごろ  五井駅東口〜君塚二丁目〜稲荷台〜中央武道館〜埋蔵文化財センターとなる。

国分寺台のニュータウンの北部を走る路線。1時間に1本程度の本数が確保されている。幕は中央武道館だが、実際にはひとつ先の埋蔵文化財センターまで行く。五井駅から少し北に向かい、平成通りを右折すると一面の田園地帯となり、高速をくぐると突然ニュータウンに入る。筆者が乗った際の乗客は10人前後だったが、稲荷台までにはほとんど降りてしまった。終点の埋蔵文化センターの周囲には特筆すべきものがない。
 平成4年9月の開設時は五井駅東口〜稲荷台〜市原市役所〜岩野見〜五井駅という循環路線だった。本数は両周り9本で、現在より少ない。その後の経緯は不明だが、平成10年ごろに循環運転を取りやめ現在の形になっている。


五井〜ちはら台線

系統 平日 土曜 休日
五井駅〜根田〜市原市役所〜能満〜労災病院〜ちはら台団地 2 2 0
五井駅〜根田〜市原市役所〜能満〜労災病院 3 3 0

1993年(平成5年) 4.21 五井駅〜ちはら台団地線を開設。(広報いちはら)

 開通年次は平成5年で市原市の助成を受け開通したようだ。路線開設の話は平成3年の時点で存在したようだが、諸事情により2年遅れての開通となった。一応ちはら台団地と市役所を結ぶという役割もあるようだが、実際は五井駅&市役所と郡本、能満、辰巳台、労災病院を結ぶ路線といえるだろう。ちなみに筆者が乗車した際は東国分寺台のあたりから客が降り始め、辰巳団地のあたりで誰もいなくなってしまった。最近まで五井駅とちはら台中央を6往復していたが、平成15年3月18日に五井駅〜労災病院間の折り返し便が3往復設定され、通し便は朝夕の2往復となってしまった。五井駅台方面の初便だった山田橋始発便も15年3月に消滅している。かつては市役所発五井行というのもあったらしい。
 国分寺台周辺は最も南よりの道を進む。それほど家が建っていない。かつては国分寺台南郵便局−国分寺台小学校と進み、いったん五井方向に戻る形で市役所を経由していたが、現在はその経路を五井〜国分寺台線に譲り、同線と直交する形で市役所を経由するようになった。また途中下野〜番場公民館の間の道は強烈に狭く、軽自動車ともすれ違いが困難である。またちはら台団地内では何故かメインストリートを外れちはら台四丁目を経由する。
田園地帯の向こうに突如大マンション群が出現する様はなかなかシュールであり、距離も長く面白い路線である。土曜休止になる前に乗車することをお勧めしたい。終点のちはら台団地から鎌取〜ちはら台線のパークシティちはら台までは徒歩3分ほど。


海上農協・帝京大学病院線

系統 平日 土曜 休日
五井駅東口〜京葉高校〜二十五里〜高沼〜分目 7 7 4
五井駅東口〜京葉高校〜二十五里〜永津〜帝京大学病院 3 3 0

かつては西口発着で、八幡宿〜姉崎線と同じ経路をたどり島野から分岐、内房線を渡り海上農協、山田駅へ抜けていた。平成11年6月23日に発着場所が東口に変更し、島野〜野毛間と分目〜山田駅間を廃止。あわせて五井駅〜京葉高校前〜野毛間と下河原〜帝京大病院間を新設し現在の形になった。橋本脳神経外科クリニック〜永津間はかつての姉崎〜今富線の一部である。とにかく曲がりくねっているのと京葉高校前から下河原あたりまでの道が狭いのが印象的。帝京大学病院線はそこそこの利用があるようだ。休日運休で途中での乗降はそれほどなく、五井駅からの通院路線といった感じである。また二十五里は「ついへいじ」と読む。
 分目系統は田園地帯の狭い道を曲がりくねりつつ走る。大型車が多いので、狭隘路線ファンにはお勧めであろう。海上農協を過ぎると終点分目に到着となるが、ここはたまたま空き地があったので折り返し場にしたような感じの場所で、周囲には何もない。かつてここから山田駅まで延びていたが、廃止直前は1往復のみだった。ちなみにそのころの区間便は海上農協どまりだったようだ。乗りつぶしで注意したいのは休日の初便を除き折り返しで五井駅に戻るダイヤがないということだろう。ただ分目から小湊鐵道の上総三又駅までは徒歩30分弱なので歩いたほうが良い。いっそのこと光風台駅まで歩いて姉崎行に乗るのも一興だろう。余談だが途中高沼には「不二サッシ」という表記があった。姉崎ターミナル〜今富〜不二サッシ線の名残だろうか。

〜堤防道路拡幅で  5年越し懸案のバス新ルート 外来患者、京葉高生に朗報〜 千葉日報平成11年6月22日版より引用

 市原市の五井駅東口から島野の県立京葉高校前を経由、姉崎の帝京大学病院行きの路線バスがあす23日から運行を開始する。国道297号バイパスの開通以来、多くの地域住民が待ち望んでいたバスルートだが、バイパスから市道への進入が難しく、5年越しの懸案となっていた。同路線の開設に伴い、これまで西口からだった五井−分目(わんめ)線も同路線と重複する形で、東口からの運行となる。
 同路線は五井駅東口から更科通りを右折、五井保育所前から297号バイパスを交差、拡幅された堤防道路を通り、かすみ橋、京葉高校前、野毛。さらに東関道側道に乗り入れ中谷集荷所、畑木を経て帝京大学病院に至るコース。
 小湊バス塩田営業所によると駅から病院までは約20分、料金は380円。外来患者の利便を図るのが最大の目的で、五井駅発は午前8時11分、9時50分、午後零時55分の3本。帝京大学病院からは午前10時20分、午後零時27分、2時、3時35分、6時5分の5本。
 分目行きは東口から野毛までを同路線と重複。ここから高沼、今富、海上農協を経由、分目へ至るコース。五井駅発が平日7便、日祭日4便、分目発が平日5便、日祭日4便。
 病院の利用者とともに同路線の開設を最も待ち望んでいたのは京葉高校の生徒たち。現在、同駅西口から旧道の県道千葉鴨川線を運行するバス路線には「京葉高校入り口」のバス停があるが、現実には学校まで十分近く歩くため、利用する生徒はほとんどいないという。
 同高校の生徒数は970人。このうち90%以上が自転車通学。バス路線の開設に伴い学校でアンケートをとったところ「常時利用」が40人、「雨など天候が悪ければ」が537人にのぼった。
 もともと同バス路線は297号バイパスの整備と合わせて検討されてきた。しかしバイパスと高校方面への進入路となる市道を交差点とするには市原インターに近過ぎるため安全の確保が難しいとの判断から懸案事項とされてきた。
 たまたま養老川のしゅんせつ工事のために, バイパスと並行して走る堤防道路を大型車が入れるよう拡幅したことからバス路線としての活用が認可され、待望の路線誕生となった。田中達郎市議会議員が長年要望を行い、実現した。



五井〜喜多線

系統 平日 土曜 休日
五井駅西口〜市原出道〜辰巳団地〜喜多 4 3 0

姉崎〜八幡線よりも150メートルほど海側の白金通りを北上する。わざわざ経路を分けた理由がよく分からないが、もともとその経路で20数年ほど前に新設されたらしい。1日4便で、最終便は平日のみの運行。五井〜八幡宿間は平日ならそこそこの利用があるようだ。沿道にヨーカドーやラオックスなどの商業施設やボートピア市原があるため、五井駅からよりもむしろ途中からの乗車のほうが多い。市原出道からは八幡宿〜労災病院線と同じ経路をたどり、第二辰巳や労災病院に寄らずまっすぐ喜多を目指す。


五井火力線

系統 平日 土曜 休日
五井駅西口〜川又〜川岸〜五井火力 4 2 0
五井駅西口〜川又〜川岸〜不二サッシ 3 1 0
五井火力→川岸→不二サッシ→川又→五井駅西口 往1 0 0

五井駅から国道16号線に入り、工業地帯を行く路線。本数は五井駅〜五井火力線が平日4本、土曜2本。五井駅〜不二サッシ線が平日3本、土曜1本である。土曜日も運行されるあたりがありがたい。なお、このほかに五井火力から不二サッシに立ち寄ってから五井駅に向かう便も平日の夕方に1本存在する。

潮見通り線

系統 平日 土曜 休日
五井駅西口〜潮見第一〜姉崎駅西口 8 8 0

2003年(平成15年) 10.14 五井駅西口〜潮見第一〜姉崎駅西口線を開設。

内房線の西側、潮見通りを経由する路線。当初予定では9月からの運行開始だった。このルートはかつて市原市が路線の開設要請を小湊鐵道に対し行っているが、採算面から難色を示した過去がある。しかしその後市原市が定額制で安価な市民バスの運行を計画していることを察知した小湊鐵道は、これに横槍を入れるという形で路線新設することとなった。現在買い物等を考慮した8往復体制だが、利用状況によっては増発もありえると言うことである。


技術センター線

五井駅東口〜衛生技術センター (臨時)

試験日のみ運行される臨時便。場所は山倉こどもの国の近くにあり、五井駅からかなり遠い。東口3番乗り場からの発車で、乗合乗車を勧めるタクシー運転手との間で客の争奪戦がおきている。


市原臨海競技場線

系統 平日 土曜 休日
市原臨海競技場→岩崎公会堂→南総病院→五井駅西口 往1 往1 0

1966年(昭和41年) 7.7 日本カーフェリーによる五井〜川崎間のカーフェリー就航に伴い五井駅〜岩崎〜日本カーフェリー線を運行開始?
1975年(昭和50年) 3月上旬 五井駅〜岩崎〜玉前〜市原臨海体育館線を開設。(広報いちはら)

駅に向かう片道1本しかないという危険な香りの漂う路線。市原競技場へは不二サッシから回送される。競技場到着が9:00、出発が9:20となっており、停留所で20分暇をつぶす。そもそも平日の朝に競技場から乗る人などマニアを除きいないだろう。単独区間でも客を乗せる気はまったくないようで、まともな時刻表はどこにもない。当然独自区間の客は筆者一人だった。
 今でこそこのような状態であったが、もともとこのルートは五井と川崎を結ぶフェリーへの連絡手段として開通したものらしい。フェリーの開業は昭和41年7月7日、日本カーフェリーの運航で川崎の浮島と養老川河口に設置された市原ターミナルの間を30〜60分間隔で往復していた。市原ターミナルは現在の海釣り公園だろう。バスについては不明だが、五井駅から車で10分以上かかる場所なので開業と同時に走り出したものと思われる。しかし利用者数が伸び悩んだのか、五井〜川崎間のフェリーは昭和49年7月に運航を中止してしまう。当時のバスの本数は五井〜岩崎〜日本カーフェリー線が8.5往復、五井〜岩崎〜日本カーフェリー〜宇部興産線が4.5往復だった。その後若干のタイムラグの後、昭和50年3月にに岩崎経由で五井と市原臨海体育館を結ぶ路線が開設され現在に至っている。現在臨海競技場入口停留所に昔の時刻表が掲示されており、つい最近まで往復の運行があったことが分かる。通過時刻は臨海体育館行が平日11:00と11:45、休日が9:49、14:50、16:58、18:00となっていた。また五井〜カーフェリー線の開設以前から運行されていたと思われる五井〜岩崎〜宇部興産線は平成元年ごろまで存続していたようだ。


神崎線

系統 平日 土曜 休日
喜多〜神崎〜辰巳団地 3 3 0
喜多〜潤井戸〜辰巳団地 1 1 0

喜多と辰巳団地を結ぶ路線で駅を経由しない。喜多にある湿津小学校の登校日のみ運行される、事実上のスクールバスである。


神崎循環

系統 平日 土曜 休日
喜多〜神崎〜潤井戸〜喜多 0 0 循3

喜多を起点とする循環路線で、神崎、潤井戸付近を循環する。駅を経由せず、しかも休日の夕方のみ3本の運行と怪しげな雰囲気をかもし出している。


青葉台グリーンタウン線

系統 平日 土曜 休日
姉崎駅〜姉崎台〜青葉台グリーンタウン 8 4 4
姉崎駅〜青葉台第二〜青葉台南〜帝京大学病院 17 12 11
姉崎駅〜姉崎台〜青葉台グリーンタウン〜帝京大学病院 20 15 15

1972年(昭和47年)ごろ  姉崎駅〜青葉台グリーンタウン間の路線を新設?
1986年(昭和61年) 10.1 姉崎駅〜帝京大病院間の路線を開設。(年報)

姉崎駅と青葉台グリーンタウン、帝京大病院を結ぶ路線。丘の上の住宅団地と病院を結んでいるため、輸送実績は良好である。午前と午後で経路が異なり、午前中は青葉台グリーンタウンを経由せずに帝京大病院に向かい、復路にグリーンタウンを経由するようになっている。午後は逆でまず青葉台グリーンタウンに向かい、復路に病院を経由する形になる。青葉台団地の造成は昭和47年ごろなので、路線開設もその頃であろう。その後昭和61年3月に帝京大学病院が開業したことを受け、同年10月より病院前に乗り入れるようになった。


有秋台団地線

系統 平日 土曜 休日
姉崎ターミナル〜姉崎駅〜有秋台団地〜緑園都市 17 17 14
姉崎駅〜有秋台団地〜緑園都市 12 5 6
姉崎駅〜有秋台団地下〜緑園都市 7 1 0
姉崎ターミナル〜有秋台団地下〜緑園都市 4 3 3
姉崎ターミナル〜駅入口〜姉崎中学校前〜迎田住宅〜有秋台団地 1 0 0
姉崎駅〜姉崎中学校前〜迎田住宅〜有秋台団地 0 0 1
姉崎ターミナル〜姉崎駅〜有秋台団地下〜緑園都市入口〜光風台駅 7 5 3
姉崎駅〜有秋台団地下〜緑園都市入口〜光風台駅 4 4 0
姉崎ターミナル〜姉崎駅〜有秋台団地下〜緑園都市〜光風台駅 1 1 1
光風台駅〜光風台第一〜光風台坂上 2 2 2

1965年(昭和40年)ごろ   姉崎ターミナル〜姉崎団地間の路線を開設。(京葉臨海工業地帯の歩み)
1985年(昭和60年) 12.25 姉崎ターミナル〜光風台第三〜牛久駅線(6.5回)と光風台駅〜光風台坂上間の区間便(9回)を開設。(年報)
1987年(昭和62年) 12.19 姉崎ターミナル〜泉台東間の路線を開設。(年報)
平成?年ごろ         光風台駅〜牛久駅間を廃止。その後中高根経由便(光風台団地非経由便)も廃止。

姉ヶ崎駅と緑園都市、光風台駅を結ぶ系統。出入庫のためか駅ではなく、駅の北の姉崎ターミナルを起終点とする便が多い。開通年次は昭和40年ごろで、宇部興産〜浄水場間の運行であったようだ。浄水場は有秋台団地と東小学校の中間地点にあるが、現在該当部分に停留所はない。実際には有秋台団地折り返していたと理解してよいかもしれない。姉崎団地は現在の有秋台団地である。建設中の昭和41年ごろに名称が変更され、昭和43年に完成している。バスの開通は完成前らしいが、すでに41年ごろに一部の社宅の入居が始まっていたようである。
 その後緑園都市まで延長され、昭和50年代以降には光風台駅、さらには牛久駅方面に乗り入れるようになった。他にも東小停留所から北に分岐して上陵田住友住宅に至る路線もあったのだが廃止されている。姉崎〜緑園都市線は有秋台団地を経由する便としない便があるが、朝を除きほとんどが団地経由となる。当初泉台東で折り返していたが、平成になって緑園都市ターミナルまで延長された。ターミナルといっても住宅地のはずれにある折り返し場に過ぎない。緑園都市は正式名称をいちはら緑園都市といい、丘の上に広がる戸建住宅街といった感じである。緑園と市内の停留所のデザインは屋根つきでポールが石柱という風に統一されている。もともとは時刻表も独自デザインだったのだが、改正後小湊標準仕様の時刻表を上から貼り付けているあたりが小湊らしい。なお平日朝はターミナルから姉崎方面へ2本の直通便が運行される。詳細は不明だがターミナルから泉台SCまでショートカットするらしい。停留所にある路線図を以下に示したが、該当する道が地図に見当たらない。光風台系統は全便有秋台団地に入らないが、数本だけ緑園都市を経由する。ただし緑園都市ターミナルに該当便の時刻が掲示されていない。緑園都市から光風台坂上までは木々がうっそうと生い茂る上り坂となり、光風台坂上を過ぎると新興住宅地を一回りし、坂を下って終点の光風台駅に到着する。光風台駅からみると丘の上に住宅が張り付いているような感じだ。なお、日中の光風台近辺の乗客はほとんど姉崎方面に向かうようだ。光風台口には駅と光風台坂上を結ぶ区間便も運行されているが、通勤時に限定されている。なお、かつては光風台の住宅地を経由せず、まっすぐ光風台駅を目指す系統もあったが最近なくなっている。牛久まで乗り入れなくなったのがいつなのかは分からない。

緑園都市ターミナル―┬――泉台北――┐
              │        泉台東
              └┬―泉台中央─┘
             泉台SC
                |


富士石油・極東石油線

系統 平日 土曜 休日
富士石油→姉崎ターミナル→姉崎駅 往1 0 0
有秋台団地→姉崎駅→姉崎ターミナル→富士石油 往1 0 0
有秋台団地→姉崎駅→姉崎ターミナル→極東石油 往1 0 0
姉崎ターミナル〜出光興産正門〜出光化学 0 0 1

 富士石油、極東化学系統は海沿いの産業道路こと国道16号線を走る系統で、有秋台団地から駅を経由して工業地帯に向かう。このあたりの16号は広い中央分離帯が特徴的な四車線道路で沿道は同じような工場が並び、海側には貨物線。だだっ広く殺風景で乗っていても面白くない。富士石油系統は朝の有秋台団地発富士石油行と夕方の富士石油発姉崎駅行の1往復のみで乗車が難しい。極東石油系統は往路のみ朝1本だけ運行され、休日は運休する。休日は姉崎ターミナルから極東石油の手前の出光化学まで1往復運転されている。極東石油線も富士石油線同様有秋台団地からやってくるが、乗客はすべて駅で降りてしまうようだ。筆者が乗車した際の乗客は筆者を入れて4人。当然筆者以外はスーツ姿であった。バスは内房線の線路を越えるとすぐに国道16号に入る。出光興産正門で一人降り、やがて左折して極東石油の正門前の貨物線の踏み切りの前に突っ込み終点極東石油に到着。踏切前のスペースを利用して転回し、姉崎車庫へ回送されていった。したがって、国道上にある降車ポールはまったく使われていない。また、前述の通りこの路線の開通時は極東石油からさらに北の宇部興産まで延びており、国道には使われなくなったバスベイが今も残っている。極東石油以南には平成13年ごろまで下り車線に「上陵田住宅行」と書かれたポールがあったのだが現在撤去されている。


長浦のぞみ野線

系統(本数は日東と合算) 平日 土曜 休日
長浦駅〜長浦行政センター前〜蔵波台1〜のぞみ野南 14 9 9

日東交通のコーナーを参照


長浦〜姉崎線 木更津〜長浦線

系統 平日 土曜 休日
長浦駅〜代宿団地〜別荘下〜姉崎T〜姉崎駅西口 5 3 3
長浦駅〜久保田〜代宿団地 9 7 6
木更津駅西口〜住吉四角〜高柳〜袖ケ浦駅〜蔵波台〜長浦駅 往14
復10
往10
復7
往9
復7
木更津駅西口〜高柳〜袖ケ浦駅〜蔵波台〜長浦駅 復5 復3 復2
西山長須賀→高柳→袖ケ浦駅→蔵波台→長浦駅 往1 0 0

昭和40年代  千葉〜木更津線を姉崎で分割。
1988年(昭和63年) 2.17 長浦駅前〜蔵波台団地間の路線を開設。姉崎〜木更津線が双方向から乗り入れる。(千葉日報)
1992年(平成4年) 12.18 木更津〜姉崎線を長浦で分割し、長浦駅への乗り入れ開始。代宿団地を経由するルートが新設され、姉崎ターミナル〜代宿団地〜長浦駅と長浦駅〜蔵波台団地〜木更津駅間の運行となる。(千葉日報)

かつては姉ヶ崎駅から木更津駅までの路線で、内房線沿いの人気のない県道287号線を一直線に走っていた。しかし昭和50年代初頭に造成された代宿団地、蔵波台団地などこのルートから東に離れた丘陵地帯での宅地開発が進んだことをうけ、まず昭和63年2月から長浦駅前〜蔵波台間を新設し蔵波台団地までの乗り入れを開始した。当時の運行形態は長浦〜蔵波台間のみの往復ではなく、木更津、姉崎双方から往復13本が乗り入れるというものであった。木更津〜姉崎線の全便が蔵波台に乗り入れたかどうかは分からない。いずれにせよ運行する側としては姉崎、木更津間の通し利用は少ないと判断したのであろう。そして約5年後の平成4年12月には事実上無意味となった木更津〜姉崎間の直通運転を取りやめ、長浦駅に新規開設されたのロータリーを使用し分断されることとなった。それと同時に姉崎〜長浦間の経路が変更され代宿団地を経由するようになった。代宿団地の完成は昭和50年ごろなのでバスの乗り入れに20年の期間を要したことになる。なおアクアライン開通前までは木更津から木更津港まで足を延ばす便があった。。
 現在姉崎〜長浦線は本数は1時間に1本程度であるが、半数以上は長浦駅〜代宿団地間の区間便で、姉崎まで足を延ばすのは平日5本、休日3本しかない。姉崎付近では姉崎駅の東口を素通りし姉崎ターミナルを終点としていたが、数年前より西口に乗り入れるようになった。
 一方の長浦〜木更津線も1時間に1本程度の運行で、長浦から蔵波付近の起伏に富む住宅地を一回りし、木更津方向に下っていく。長浦方面行は全便住吉四角経由だが、木更津方面行の3割程度、主として夕方の便は住吉四角を経由しない。住吉四角周辺は市営住宅や病院などが密集しておりそこそこの乗降があるのだが、道がかなり狭く、中型車での運行がやっとである。

袖ヶ浦〜姉崎間のルートの変遷



昭和63年3月13日改正時のダイヤ
長浦駅入口発
蔵波台方面
蔵波台発
長浦駅方面
6:22  蔵波台*
7:35  木更津
8:50  姉崎
9:19  姉崎
9:58  蔵波台
10:16 蔵波台
11:48 蔵波台
14:25 木更津
15:25 木更津
16:42 蔵波台
17:37 木更津
18:10 蔵波台
19:45 木更津
*印−休日運休
6:41  木更津*
7:48  木更津
8:59  姉崎
9:28  姉崎
10:09 木更津
10:25 姉崎
12:22 木更津
14:34 木更津
15:38 木更津
16:52 姉崎
17:46 木更津
18:21 姉崎
19:56 木更津
*印−休日運休

木更津駅西口循環・巌根線

系統 平日 土曜 休日
木更津駅西口〜西山〜住吉四角〜巖根駅 4 3 2
木更津駅西口〜西山〜住吉四角〜巖根駅〜江川〜航空隊前 1 1 1
木更津駅西口〜西山〜高柳〜巖根駅入口〜木更津駅西口 循5 循4 循3
高柳三角→巖根駅入口→江川→木更津駅西口 往1 往1 往1
木更津駅西口〜巖根駅入口〜高柳〜西山〜木更津駅西口 循3 循3 循3

木更津駅から北上し西山、巌根、江川を循環する路線。利用はそこそこで、本数もそこそこである。ルーツは昭和8年の袖ヶ浦自動車までさかのぼる。


金田線

系統(本数は日東と合算) 平日 土曜 休日
木更津駅西口〜江川〜金田〜袖ケ浦駅 往1
復2
往1
復2
往1
復2
木更津駅西口〜江川〜巖根駅〜高柳〜金田中島 2 2 2
木更津駅西口〜江川〜久津間〜這松〜金田中島 往7
復6
往7
復6
往7
復6

1927年(昭和2年) 8.9 石井兵蔵 楢葉駅(現袖ヶ浦駅)〜金田間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
1952年(昭和27年) 7.4 日東交通 金田線(木更津〜江川〜高柳〜金田)運行許可。(袖ヶ浦市史)
1954年(昭和29年)ごろ 日東・小湊 江川〜久津間間の路線を開設。(木更津市統計)
1958年(昭和33年) 12月 日東・小湊 久津間〜中島間を延長。(木更津市史)

木更津駅から内房線の西側の県道を北上する路線で日東交通との共同運行ある。どの便も一日おきに日東、小湊が交互に運行する。
袖ヶ浦市史によると昭和27年7月4日に木更津〜江川〜高柳〜金田間の運行が日東交通に許可されたらしい。小湊がこの時点で参入したかどうかは分からない。その後江川から巖根駅方面に向かわずにまっすぐ北上する木更津〜久津間線が昭和29年ごろに開通し、昭和33年12月に久津間〜中島線が延長され現在のような形になったらしい。木更津〜久津間間の区間便は金田延長後も昭和40年代初頭まで存続した。
またこの他に昭和36年9月1日には畔戸まで、37年7月には高須まで、昭和38年11月には牛込までの枝線も開設された。畔戸、高須とも現在の畔戸高須入口付近から海側に向かって分岐する短距離の枝線であったが、まず畔戸線が昭和50年代後半ごろに廃止され、その後高須線も廃止された。高須線は畔戸高須から左折して日枝神社、見立入口を経由し高須に向かうもので、終点高須は見立船溜のそばにあった。また牛込線は中島の北にある中野から分岐し、北村、牛込神社前を経由し牛込に向かっていた。終点は牛込船溜のそばで、これもだいたい同じ頃に廃止されたらしい。現在トータルの本数は1〜2時間に1本程度で袖ヶ浦系統は往路1本、復路2本となっている。巖根駅経由は駅を経由したあといったん内房線を渡り、小櫃橋付近を経由してから金田に向かうため、かなり遠回りである。


清見台団地線

日東交通のページ参照。


2.廃止路線(執筆中)


五井駅〜御蓙目〜村上〜?

昭和52年の千葉市全図(日地出版刊)に記載されている系統。県道五井山倉線を南下していたらしいが・・・。