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鴨川日東バス

1.概要

鴨川日東バスは旧日東交通の鴨川営業所を引き継いだもので、鴨川周辺の各路線を担当する。主力は太海興津線で太海〜天津間はデータイム20分おきと高頻度で運行される。千葉〜鴨川間のカピーナ号を一部担当するほか、木更津鴨川間の急行バスも運行している。


2.路線紹介


鴨川市内線(太海興津線)

系統 平日 土曜 休日
お花畑〜仁右衛門島入口〜太海駅前〜鴨川駅前〜天津駅前 6 6 6
仁右衛門島入口〜太海駅前〜鴨川駅前〜天津駅前 17.5 17.5 9
鴨川駅前〜天津駅〜小湊駅前〜城崎海岸〜行川アイランド〜興津駅 7 7 6
鴨川駅前〜天津駅〜小湊駅前〜城崎海岸〜行川アイランド 6.5 6.5 6.5

1918年(大正7年)ごろ   笹生万吉(万歳館自動車部) 鴨川〜小湊間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
?   (大正?年)     三日月自動車(合) 鴨川〜興津間の路線を開設?
1921年(大正10年)ごろ  東海自動車 小湊〜勝浦間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
1924年(大正13年) 4月 石塚寅吉 小湊〜勝浦間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
1925年(大正14年) 10.27 三日月自動車(合) 東海自動車、石塚寅吉の路線を買収。(房総の乗合自動車)
1927年(昭和2年) 4.1  三日月自動車(合) 鉄道開通により勝浦〜興津間を廃止。(房総の乗合自動車)
1928年(昭和3年) 7.28  三日月自動車(合) 万歳館自動車より路線を譲り受け。(房総の乗合自動車)
1932年(昭和7年) 8.30  外房遊覧自動車(株)設立。三日月自動車(合)より鴨川〜保田、太海〜興津、天津〜清澄間を継承。(房総の乗合自動車)
1944年(昭和19年) 11.11 日東交通(株) 外房遊覧自動車を合併し路線を譲り受ける。(房総の乗合自動車)
昭和20年代          鴨川駅〜東条〜鏡忍寺〜誕生寺、誕生寺〜興津駅間の運行となる。
昭和30年代          仁右衛門島入口〜鴨川駅〜東条〜鏡忍寺〜誕生寺、誕生寺〜興津駅間の運行となる。
昭和40年代          仁右衛門島入口〜鴨川駅〜興津駅間の運行となる。東条経由の存否不明。
1994年(平成6年) 3.16 日東交通 館山〜鴨川線をお花畑で分断。お花畑折り返し便を新設。
1995年(平成7年) 1.1 日東交通鴨川営業所を鴨川日東バスに分社化。
2003年(平成15年) 10.1 お花畑〜天津と鴨川駅〜興津間の2系統に分断。休日ダイヤの導入。

鴨川を中心とした太平洋沿岸部を走る路線で、お花畑から安房鴨川駅をはさみ上総興津駅を結ぶ。ただし全線通しで運行される便はない。仁右衛門島入口〜天津駅間がもっとも高頻度で20分毎、天津駅〜行川アイランド間が40分毎、末端部は1日5〜6本となっている。仁右衛門島入口は太海駅のすぐ西にあり、事実上太海駅〜安房天津間を補完する路線といえるだろう。鉄道に並行するが、鉄道がフォローしない港町をこまめに停車していくことや、鉄道の場合本数が少なく鴨川で乗換えが必要になってしまうことからバスの需要はかなり高い。かつては館山から鴨川駅まで乗り入れる系統があったが、平成6年3月16日にお花畑で分割された。現在は会社が異なることもあり、お花畑での連絡は考慮されていないようだ。
 この路線の記録上はっきりとしたルーツは大正7年に笹生万吉(万歳館自動車部)が開設した鴨川〜小湊間の路線らしい。ただこの少し前より勝浦、鴨川、小湊などに寄航する東京湾汽船を補完する路線として房総乗合馬車合資会社が鴨川〜小湊〜勝浦間に馬車を走らせており、同社は大正8年末に三日月自動車合資会社と改組されたことから、笹生万吉に1年ほど遅れ、三日月自動車も鴨川〜小湊間に参入してきたようだ。大正8年の段階で小湊から興津まで延びていたかどうかは分からない。その後三日月自動車は大正13年に小湊〜勝浦間に路線を持つ東海自動車と石塚寅吉から同線を収受したことにより、鴨川〜勝浦間の運行を開始する事になった。『房総の乗合自動車』には昭和2年の段階で興津〜鴨川間が6往復とあるが、興津〜勝浦間の存否は不明である。昭和3年には鉄道全通を見据え三日月自動車が万歳館自動車より路線を譲り受け、競合関係が整理された。しかしその後内部の権限争いにより最大の出資者である小高鶴治が三日月自動車から離脱、昭和7年に設立された外房遊覧自動車に参加した。設立の際三日月自動車(合)より鴨川〜保田、太海〜興津、天津〜清澄間を継承していたが、小高の出資分だけ割譲したものらしい。(『房総の乗合自動車』 P158)。三日月自動車はその後の戦時統合により小湊に吸収されたため、もしも小高鶴治が離脱しなければ鴨川市内線は小湊の路線となったのかもしれない。なお当時小高鶴治は勝浦で三日月旅館を経営しており、これが現在のホテル三日月につながっている。かくして昭和7年より太海〜興津線は外房遊覧自動車の路線なった。どうも戦前には南三原〜太海間に路線がなかったようである。
 戦時中から戦後の混乱期にかけての状況は不明だが、おそらく休止に追い込まれたと思われる。昭和28年までに鴨川駅〜興津駅の運行が再開されているが、鴨川以西では昭和26年に館山駅〜鴨川役場前(現加茂川橋付近?)の運行が開始されたものの、鴨川駅まで延長され館山〜鴨川〜興津間がつながったのは昭和30年代に入ってからである。「全国バス路線要覧 昭和39年版」によると昭和38年の運行形態は以下のとおりであった。

昭和38年3月31日現在の太海興津線系統一覧

始点 経由地 終点 距離 運賃 始発 終発 所要 回数
誕生寺前 大沢 興津駅 7.1 35 720 1740 25 7
鴨川駅前 東条、天津 誕生寺 12.7 50 635 1912 35 11
誕生寺前 鴨川 仁右衛門島入口 16.8 65 820 1720 50 10
鴨川駅前 天津 誕生寺 11.85 50 635   35 0.5
鴨川駅前 待崎 新谷 5.65 30 755   15 3
誕生寺前 開戸橋 小湊駅前 1.8 15 815 1750 6 13
「全国バス路線要覧 昭和39年版」(全国旅客自動車要覧編集室編)より抜粋

表を見ると当時小湊の誕生寺を境に分断されていたことが分かる。確証はないが「誕生寺前」と「誕生寺」は同一であろう。起終点を同じくして距離が異なるのは東条、鏡忍寺経由の有無の差であろうと思われる。昭和28年の段階では全便東条、鏡忍寺、仲原経由であり、現在のように海沿いの国道経由となるのは昭和40年代以降である。また誕生寺付近も現在の内浦トンネル経由ではなく、海沿いの誕生寺を経由するルートであった可能性が高い。そうでなくても誕生寺の門前までバスが乗り入れていたのは間違いないだろう。なお表中の「松崎」「新田」については該当する地名が存在しないため、「待崎」、「新谷」に読み替えてある。
 その後遅くとも昭和47年には仁右衛門島〜鴨川駅〜行川アイランド〜興津駅系統と仁右衛門島〜鴨川駅〜行川アイランドがそれぞれ1時間おきに運行され、鴨川折り返し便と誕生寺折り返し便は朝夕のみ運行されるようになった。時期的に少し下った昭和60年現在の運行形態は以下のとおりである。

昭和60年10月現在の太海興津線系統一覧

始点 経由地 終点 距離 回数
仁右衛門島入口 鴨川駅前 行川アイランド 19.12 24.5
仁右衛門島入口 鴨川駅前 興津駅 22.60 8
鴨川駅前 天津駅前 行川アイランド 15.02 2.5
鴨川駅前 天津駅 興津駅 18.50 2
『鴨川市総合計画』 昭和61年鴨川市刊

上記の通り、昭和60年代には仁右衛門島入口〜行川アイランド・興津駅間の運行に整理され、これに館山駅から鴨川駅まで10往復乗り入れる形になった。しかし館山〜鴨川線は平成6年3月16日に江見駅と和田浦駅との中間地点であるお花畑にて分断されることとなり、新たにお花畑から天津、行川アイランドに向かう系統が新設された。仁右衛門島入口〜お花畑間はかなり減便されてしまっている。

平成6年3月16日現在の太海興津線系統一覧

系統 平日 土曜 休日
お花畑〜鴨川駅前〜小湊駅前〜城崎海岸〜行川アイランド 2 2 2
お花畑〜鴨川駅前〜小湊駅前〜城崎海岸 1 1 1
お花畑〜鴨川駅前〜小湊駅前〜 天津駅 4 4 4
仁右衛門島入口〜鴨川駅前〜小湊駅前〜城崎海岸〜興津駅 4 4 4
仁右衛門島入口〜鴨川駅前〜小湊駅前〜城崎海岸〜行川アイランド 10 10 10
仁右衛門島入口〜鴨川駅前〜小湊駅前〜城崎海岸〜城崎海岸 4 4 4
仁右衛門島入口〜鴨川駅前〜天津駅 7 7 7
仁右衛門島入口〜太海駅前〜鴨川駅前 2 2 2
鴨川駅前〜鴨川駅前〜小湊駅前〜城崎海岸〜興津駅 2 2 2
鴨川駅前〜小湊駅前〜城崎海岸〜行川アイランド 1 1 1

その後平成15年10月の改正では通し便が消滅し、お花畑〜仁右衛門島入口〜鴨川駅〜天津駅間の系統と鴨川駅〜天津駅〜行川アイランド〜興津駅間の2系統に整理された。また休日ダイヤが導入され、かなり減便されている。

東条線

系統 平日 土曜 休日
鴨川駅〜東条〜浦の脇 7 7 7

?開通。戦前の鴨川〜興津線はこのルートだった?
1995年(平成7年) 1.1 日東交通鴨川営業所を鴨川日東バスに分社化。

鴨川駅から狭くてひなびた道を走るローカル路線で、小型車が充当される。歴史は古く、少なくとも昭和28年の段階では太海興津線のルートが東条経由だった。現在のようになった時期は不明であるが、太海興津線を東海道線とすれば東条線は御殿場線といったところか。なお、終点浦の脇から少し行くと太海興津線の走る国道に合流するが、昭和50年代の道路地図では浦の脇と国道をつなぐルートがあることから、その頃までは東条経由の天津方面行があったということかもしれない。


長狭線・湯沢線

系統 平日 土曜 休日
鴨川駅〜追分〜吉尾駅〜金束〜平塚本郷 3 3 3
鴨川駅〜追分〜吉尾駅〜金束 8 8 6
鴨川駅〜追分〜吉尾駅〜金束〜平塚本郷〜湯沢 1 1 1
金束〜郡境〜湯沢 鴨川1
天羽1
鴨川1
天羽1
鴨川1
天羽1

1918年(大正7年)ごろ ? 笹生万吉(→万歳館自動車) 保田〜鴨川間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
?   (大正?年)     三日月自動車(合) 鴨川〜主基間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
1928年(昭和3年) 7.28  三日月自動車(合) 万歳館自動車より路線を譲り受け。(房総の乗合自動車)
1932年(昭和7年) 8.30  外房遊覧自動車(株)設立。三日月自動車(合)より鴨川〜保田、太海〜興津、天津〜清澄間を継承。(房総の乗合自動車)
1944年(昭和19年) 11.11 日東交通(株) 外房遊覧自動車を合併し路線を譲り受ける。(房総の乗合自動車)
1995年(平成7年) 1.1 日東交通鴨川営業所を鴨川日東バスに分社化。
2003年(平成15年) 10.1 福祉センター経由便を廃止。

鴨川駅から長狭街道をひたすら西に向かう。かつては内房と外房を結ぶ主要ルートであり、今も1時間に1本程度の運行が確保されている。もともと大正7年ごろに笹生万吉が保田〜鴨川間の路線を開設し、その後鴨川〜主基間に三日月自動車が参入し、競合区間で客の奪い合いが繰り広げられた。しかし昭和3年には鉄道全通を見据え三日月自動車が万歳館自動車より路線を譲り受け、競合関係が整理された。昭和7年には太海興津線と同じく外房遊覧自動車に譲渡され、昭和19年からは日東交通の担当になった。
 戦後は上総湊〜金束〜鴨川と保田〜金束〜鴨川の二本立てで運行されていたが、内房外房の連絡線としての役割が低下するとともに徐々に金束折り返しが増え、昭和40年代後半には上総湊までの直通便が廃止された。その後保田までの直通便も廃止されたようだ。平塚本郷便は昭和30年代に開設されたらしいが、それまでにも似たような経路を通って館山から金束に至る路線があったようだ。また、本線から外れ鴨川市役所、福祉センターを経由する便が1往復設定されていたが、平成15年10月の改正で消滅した。

 湯沢線は保田線が鋸南町営バスとして再編された際に宙に浮いた湯沢〜金束間を引き継いだもので、鴨川からの直通便が1往復、区間便が1往復、さらに天羽日東バスの戸面原線からの間合い運用が1往復設定されている。鋸南町営バスとの接続は一応考慮されているが、日中は2時間待ちとなる。


西条循環

系統 平日 土曜 休日
鴨川駅〜高溝〜根形〜鴨川駅 循3 循3 循3

昭和60〜63年 日東交通 西条循環線を開通。
1995年(平成7年) 1.1 日東交通鴨川営業所を鴨川日東バスに分社化。

鴨川駅の北側の市役所、根形、花房周辺を循環する路線で、香木原線を補完する役割を持つが本数は少ない。開設は昭和60〜63年の間である。


曽呂線

系統 平日 土曜 休日
太海駅〜温泉入口〜曽呂終点 6 6 6

昭和30年代 日東交通 鴨川駅〜太海駅〜曽呂終点間を開通。
平成?年 太海駅折り返しに変更。
1995年(平成7年) 1.1 日東交通鴨川営業所を鴨川日東バスに分社化。

太海駅から県道89号線を登っていく路線。かなり狭い道を走るためマイクロ車が充当される。ただ農協曽呂始点付近や曽呂温泉以南は2車線の新道がすでに開通しているため、将来的には狭い旧道からルートが変更されるかもしれない。曽呂終点は鴨川市の西のはずれにある。終点とつけたのは、終点の西という地名を付けるよりも曽呂方面に向かうバスということを強調したほうが良いということなのだろうか。開通年次は不明であるが、昭和28年以降38年以前であることは間違いない。平成元年ごろまでは鴨川駅まで足を延ばしていたらしいが、なぜか太海駅まで短縮されている。


香木原線

系統 平日 土曜 休日
鴨川駅〜鴨川市役所〜金山ダム〜香木原〜亀山湖〜亀山駅 3 3 3
亀山駅〜亀山湖〜香木原 2 3 3

昭和28年〜昭和38年  
1965年(昭和40年) 3.1 日東交通 亀山駅〜香木原間の路線を開設。(広報かずさ)
昭和40年〜昭和55年    香木原〜美野口間を開業。鴨川〜亀山間の運行となる。
1983年(昭和58年) 9.1 大日〜亀山間が自由乗降区間となる。(広報きみつ)
1995年(平成7年) 1.1 日東交通鴨川営業所を鴨川日東バスに分社化。

久留里線の終点である上総亀山駅から鴨川駅に抜けるルートとして鉄道ファンの間で知られる路線。実際には香木原折り返し便が多いため、日中の1往復しか使えない。一部鴨川有料道路を走る。
亀山〜鴨川間の運行開始はそれほど古い話ではない。僻地とまで言われた香木原地区にバスが通じたのは昭和40年のことであった。県道千葉鴨川線が香木原小学校まで開通したことを契機に開業し、亀山駅と香木原間を6往復運行された。鴨川方では昭和38年の段階で鴨川駅前〜美野口間を7往復していた。美野口は金山ダムのやや南にある停留所で、路線開設年次はおそらく昭和30年代であろう。この両線がつながったのは昭和43年に香木原から鴨川方面に延びる鴨川有料道路が開通後で、昭和40年代中ごろかと思われる。鴨川〜亀山間を3往復したほかに、鴨川〜金山ダムの区間便が昭和60年ごろまで3往復存在した。現在は代替路線となっており、年末年始は運休となる。


黄和田線

系統 平日 土曜 休日
亀山駅〜坂畑学校前〜滝原〜黄和田車庫 7 7 7

1930年(大正9年) 11.1 織本自動車商会 久留里〜亀山間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
1930年(大正9年) 11.1 桑田邑次郎 織本自動車商会より久留里〜亀山間の路線を譲受。(房総の乗合自動車)
1930年(大正9年) 11.1 桑田邑次郎 亀山〜黄和田間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
昭和初期 君津合同自動車(株)により吸収。(房総の乗合自動車)
1943年(昭和18年) 10.28 安房合同自動車(株) 君津合同自動車(株)を合併する。(房総の乗合自動車)
1944年(昭和19年) 7月  安房合同自動車(株) 日東交通(株)に改称する。(房総の乗合自動車)
1957年(昭和32年) 7.18 日東交通 久留里〜亀山〜黄和田〜清澄〜安房天津駅間の運行を開始。(上総町広報)
昭和40年〜55年        黄和田〜清澄間を廃止。
1984年(昭和59年) 7.20 全線自由乗降区間となる。(広報きみつ)
1995年(平成7年) 1.1 日東交通鴨川営業所を鴨川日東バスに分社化。

久留里線の亀山駅から国道465号線を東進し君津市の東南端、黄和田畑に至る路線。蔵玉小や坂畑小、亀山中への通学路線といった色合いが濃い。いずれも山間の小さな学校である。昭和63年に坂畑小が香木原小学校を合併したこともあり、香木原からの直通便も運行される。
 戦前久留里〜黄和田間の路線が存在したことは間違いないのだが、戦後一時休止になったかどうかは今のところわからない。少なくとも昭和32年に久留里〜黄和田〜天津間の運行を開始したとあるため、それまでには黄和田への運行が行われていたと考えてよいだろう。しかし昭和43年に香木原から鴨川方面に延びる鴨川有料道路が開通すると遠回りである久留里〜天津間の路線の存在意義が薄れ、遅くとも昭和53年までには黄和田までに短縮された。

・上総町広報 昭和32年7月20日版より引用

「久留里=天津間 日東バス定期運行開始される」

日東交通株式会社では多年の宿望であった久留里天津間の定期バス運行をその筋へ認可申請中のところ先月上旬認可となり七月十八日より運行を開始しております。このコースは外房と内湾を結ぶ最短コースであり、然もこの間は霊場、三石観音並びに清澄山を控え且つ七里川ハイキングコースと風光明媚なる渓谷を有し、この地一帯を房総のチベットともいい県下唯一の観光地帯として知られていて本町の発展は期して待つべきものがあります。所要時間も久留里から二時間あまりで外房天津町に至り、料金も久留里から一百円、亀山より七十円の小額で行く事のできて日帰り旅行には最もよいコースと思います。時間表は別表のとおりであります。

天津方面行   亀山方面行
久留里 松丘 亀山 天津   天津 亀山 松丘 久留里
    7:35 9:20   7:10 8:45 9:05 9:25
11:00 11:20 11:40 13:20   11:10 12:45 13:05 13:25
15:07 15:27 15:47 17:20      15:10 16:45    

清澄線

系統 平日 土曜 休日
天津駅〜清澄寺〜四方木〜西原〜古川〜清澄温泉 2 4 4
天津駅〜清澄寺〜四方木〜西原 3 1 1
天津駅〜清澄寺〜四方木〜西原〜古川 1 1 1

1929年(昭和4年)ごろ   三日月自動車、天津〜清澄間の運行を開始。(ふるさと資料天津小湊の歴史)
1932年(昭和7年) 8.30  外房遊覧自動車(株)設立。三日月自動車(合)より鴨川〜保田、太海〜興津、天津〜清澄間を継承。(房総の乗合自動車)
1944年(昭和19年) 11.11 日東交通(株) 外房遊覧自動車を合併し路線を譲り受ける。(房総の乗合自動車)
1957年(昭和32年) 7.18 日東交通 久留里〜亀山〜黄和田〜清澄〜安房天津駅間の運行を開始。(上総町広報)
昭和40〜50年        黄和田〜清澄間を廃止。
1995年(平成7年) 1.1 日東交通鴨川営業所を鴨川日東バスに分社化。

外房の観光地として知られる清澄寺と天津駅を結ぶ路線。


急行 木更津鴨川線

系統 平日 土曜 休日
木更津駅東口〜かずさアーク〜東粟倉〜主基駅〜鴨川駅〜亀田病院 3 3 0
木更津駅東口〜かずさアーク〜東粟倉〜主基駅〜安房鴨川駅 3 3 6

平成12年2月ごろの開通。当初日東交通との共同運行だったが平成14年1月より鴨川日東による単独運行となり、1往復減便された。

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