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日東交通は房総エリアの各事業者が統合されることにより昭和19年に誕生した。その後房総エリアを小湊とともにほぼ独占していたが、平成7年に分社化を行い、内房線の姉崎、木更津、君津エリアを本体である日東交通、上総湊地区を天羽日東バス、内房線の金谷以南を館山日東バス、鴨川地区を鴨川日東バスと言う体勢で再出発した。日東交通には古くからある路線のほかに最近新設された団地路線も多い。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 姉ケ崎駅〜有秋台団地入口〜平岡小前〜馬来田駅前〜茅野 | 8 | 5 | 5 |
| 姉ケ崎駅〜有秋台団地入口〜桜台団地〜平岡小前〜馬来田駅前〜茅野 | 7 | 5 | 5 |
| 姉ケ崎駅〜有秋台団地入口〜平岡小前 | 1 | 1 | 1 |
| 姉ケ崎駅〜有秋台団地入口〜桜台団地〜平岡小前 | 復2 | 1 | 1 |
| 姉ケ崎駅〜姉ヶ崎中学校前〜有秋台入口〜桜台団地 | 26 | 20 | 20 |
1932年(昭和7年) 8.1 永島濬 姉ヶ崎駅〜真里間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
昭和初期 君津合同自動車(株)により吸収。姉崎〜久留里間の運行となる?(房総の乗合自動車)
1943年(昭和18年) 10.28 安房合同自動車(株) 君津合同自動車(株)を合併する。(房総の乗合自動車)
1944年(昭和19年) 7月 安房合同自動車(株) 日東交通(株)に改称する。(房総の乗合自動車)
昭和40年代中盤以降 姉ヶ崎駅〜久留里線を馬来田(茅野)までに短縮。
昭和50年代前半 姉ヶ崎駅〜桜台団地間の路線を開設。
2002年(平成14年) 6.16 日中の姉ヶ崎線が桜台団地に乗り入れ開始。
姉ヶ崎線は姉ヶ崎駅から南下して袖ヶ浦市西部を経由し久留里線の馬来田駅にいたる路線。一部途中の平岡小前で折り返す便もある。馬来田駅には転回スペースがないため
ひとつ先の茅野まで行って折り返す。今でこそただの折り返しスペースであるが、昭和42年の『富来田町勢要覧』に「新設された日東交通株式会社富来田町車庫あり」とあることから、一時期車庫機能を有したことがあるらしい。昔は姉崎〜久留里間の運行であったが、昭和40年代後半に短縮された。昭和50年代には茅野から久留里駅、黄和田への運行がわずか1本ながら存在した。
桜台団地線は深城から分岐し桜台団地に至る路線で、昭和50年代前半の開設である。桜台団地線にはかつて急行便も存在したのだが平成8年までには廃止された。最近までこの両線は運行経路こそ同一であるもののまったくの別線であった。しかし利用者の減少などを受け、平成14年6月16日に日中の姉ヶ崎線の各便が桜台団地に乗り入れる形で運行本数の削減が行われた。詳細は以下のとおりであるが、トータルで見るとかなりの減便となっている。
| 姉ヶ崎駅→茅野 | 平土17 休12 | → | 平8 土休5 |
| 姉ヶ崎駅→桜台団地→茅野 | 新設 | → | 平7 土休5 |
| 姉ヶ崎駅→平岡小前 | 平土1 休1 | → | 平1 土休2 |
| 姉ヶ崎駅→桜台団地 | 平33 土32 休26 | → | 平26 土休20 |
| 急行 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||||||
| 普通 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
| 姉 崎 駅 |
姉 崎 三 角 |
砂 子 |
姉 崎 中 学 校 |
勾 当 水 |
迎 田 住 宅 |
迎 田 |
永 藤 |
不 入 斗 |
有 秋 台 団 地 入 口 |
山 谷 |
西 小 学 校 入 口 |
深 城 |
桜 台 入 口 |
桜 台 一 丁 目 |
桜 台 中 央 |
桜 台 三 丁 目 |
桜 台 団 地 |
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 長浦駅〜長浦行政センター前〜蔵波台1〜のぞみ野南 | 14 | 9 | 9 |
2000年(平成12年) 5.1 長浦駅〜のぞみ野南間を新設。
長浦駅から南下しのぞみ野に至る路線で平成12年5月1日に新設された。小湊との共同運行。蔵波二ノ堀〜のぞみ野北間はフリー乗降区間となる。終点ののぞみ野南はこの路線独自の折り返し場で、袖ヶ浦からののぞみ野線は停車しない。のぞみの南線開設以前は内房線からのぞみ野へのアクセスは袖ヶ浦駅からがメインであったが、長浦駅の快速停車が袖ヶ浦駅に先行したため、現在はこちらのほうが主力となっている。ただ平成14年5月の改正では土休日が5便減回されてしまった。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 袖ケ浦駅〜福王台〜のぞみ野入口〜のぞみ野T〜平川行政センター | 往10 復9 | 往10 復9 | 往10 復9 |
| 袖ケ浦駅〜福王台〜袖ケ浦高校〜袖ケ浦公園前〜のぞみ野ターミナル | 往2 復3 | 往1 復2 | 往1 復2 |
1932〜33年(昭和7〜8年) ? 石井兵蔵 楢葉駅(現袖ヶ浦駅)〜飯富〜三作間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
1932年(昭和7年) 8月 吉田直 下郡〜横田〜野里(現平岡小付近)の路線を開設。(房総の乗合自動車)
昭和初期 君津合同自動車(株)により吸収。(房総の乗合自動車)
1943年(昭和18年) 10.28 安房合同自動車(株) 君津合同自動車(株)を合併する。(房総の乗合自動車)
1944年(昭和19年) 7月 安房合同自動車(株) 日東交通(株)に改称する。(房総の乗合自動車)
昭和20年代
袖ヶ浦駅から袖ヶ浦市西部の平川行政センターを結ぶ路線。のぞみ野ターミナル折り返し便も存在する。終点の平川行政センターは東横田駅に近い。もともと袖ヶ浦駅〜のぞみ野T線と袖ヶ浦駅〜平川行政センター線は別の系統で、平川行政センター線はのぞみ野に入らなかった。平川線は木更津から袖ヶ浦駅を経由して横田方面に向かう系統と袖ヶ浦からの区間便により構成されていたが、昭和50年代後半から60年代初頭にかけて短縮され袖ヶ浦〜平川行政センター間の運行となった。のぞみ野線は昭和58年ごろの開設らしい。平川線とのぞみ野線は平成12年10月16日改正で統合の上減便となり、かつ全便のぞみ野経由に変更された。変更直前の平成11年2月1日改正時と比べるとその減便ぶりがわかる。
また、平川行政センター系統ののぞみ野乗り入れと同時に袖ヶ浦〜のぞみ野間の急行便も廃止されたようだ。末期は1往復だったらしいが、詳細はよく分からない。なお停車停留所は以下に示した通りである。
表1 袖ヶ浦発運行本数の変遷
| H11.2.1改正 | H12.10.16改正 | H14.6.16改正 | ||||
| 平日 | 休日 | 平日 | 休日 | 平日 | 休日 | |
| 袖ヶ浦→のぞみ野T | 19 | 12 | 1 | 1 | 2 | 1 |
| 急行 袖ヶ浦→のぞみ野T | 1 | 0 | - | - | - | - |
| 袖ヶ浦→平川行政C | 10 | 8 | - | - | - | - |
| 袖ヶ浦→のぞみ野T→平川行政C | - | - | 10 | 10 | 10 | 10 |
表2 のぞみ野線急行
| 急行 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | |||||||||||||
| 普通 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
| 袖 ヶ 浦 駅 |
福 王 台 |
農 協 会 館 前 |
袖 ヶ 浦 高 校 |
兵 庫 坂 |
神 納 |
西 飯 富 |
飯 富 |
東 飯 富 |
袖 ヶ 浦 公 園 |
下 新 田 |
三 ツ 作 |
根 形 中 学 校 |
上 三 ツ 作 |
南 総 園 前 |
曲 本 |
大 曽 根 |
の ぞ み 野 入 口 |
の ぞ み 野 |
の ぞ み 野 中 央 |
の ぞ み 野 T |
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 木更津駅東口〜太田〜清川駅前〜笹子入口〜高谷〜馬来田駅前〜茅野 | 10 | 10 | 10 |
| 木更津駅東口〜祇園〜JA清川〜東清小〜笹子 | 6 | 6 | 6 |
1926年(昭和元年)ごろ 吉田直 木更津〜馬来田〜久留里間の運行を開始。(房総の乗合自動車)
1932年(昭和7年) 11.28 吉田直と川崎清二が南総自動車(合)を設立。(房総の乗合自動車)
昭和初期 君津合同自動車(株)により吸収。(房総の乗合自動車)
1943年(昭和18年) 10.28 安房合同自動車(株) 君津合同自動車(株)を合併する。(房総の乗合自動車)
1944年(昭和19年) 7月 安房合同自動車(株) 日東交通(株)に改称する。(房総の乗合自動車)
1946年(昭和21年) 8.1 戦時中に休止されるが復活。
木更津から久留里線に完全に並行して笹子、馬来田に至る路線。国道409号線を走行する。かつて久留里や上総亀山まで運行した時期もあったようだが、昭和40年代後半には茅野まで短縮されている。その後木更津〜太田〜笹子入口〜茅野線と木更津〜祇園〜笹子入口線の2本立てで運行されていたが、木更津久留里線の南を通る409号バイパスの完成後、これまで笹子入口で折り返していた区間便が廃止され、新たにバイパス経由の笹子行きの系統が新設された。時期は不明だが、平成10年ごろと思われる。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 木更津駅東口〜請西小学校〜鎌足〜かずさアーク〜草敷 | 10 | 10 | 9 |
1932年(昭和7年) 8月 吉田直 下郡〜横田〜野里(現平岡小付近)の路線を開設。(房総の乗合自動車)
1933年(昭和8年) 6月 吉田直 馬来田村真理〜下郡〜戸崎間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
〜1934年(昭和9年) ? 君津合同自動車 木更津〜高倉〜戸崎〜久留里間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
1943年(昭和18年) 10.28 安房合同自動車(株) 君津合同自動車(株)を合併する。(房総の乗合自動車)
1944年(昭和19年) 7月 安房合同自動車(株) 日東交通(株)に改称する。(房総の乗合自動車)
2000年(平成12年) 10.1 日東交通 中郷線、富岡循環線を廃止。木更津市代替の中郷・富岡線となる。
高倉線は木更津から矢那川沿いの谷間に延びる県道23号線を経由しかずさアーク方面に向かう。本数は1時間に1本弱。終点の草敷から先はかつて木更津〜久留里線や及び富岡循環線が戸崎方面に向かっていた。末期の木更津〜久留里線は1日1往復で、なぜかかずさアークを経由しなかった。
かつての富岡循環は現高倉線と馬来田線を結ぶ循環路線であった。独自区間はもともと昭和初期に吉田直が開設した路線を継承したもので、下郡〜上根岸〜横田〜平岡と馬来田〜下郡〜戸崎間の路線をベースにしている。戦時中に一度休止されたものの、昭和31年ごろに日東交通が横田〜戸崎間を復活させ富岡循環線として運行を開始したものの、下郡駅から国道409号に向かうルートはついに復活しなかった。なお横田〜平岡間については平川のぞみ野線に継承されている。
旧富岡循環の独自区間の本数は少なかった。昭和60年代初頭には富岡折り返し便も存在したようだがやがて消滅し、廃止直前に至ってはかずさアーク先回り5本、横田先回り朝6時台1本であった。そして富岡循環線の独自区間は平成12年10月に新設された中郷富岡線に吸収される形で廃止された。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 木更津駅東口〜西山長須賀〜中郷小〜富岡〜草敷回転場 | 往1 復3 | 往1 復3 | 復1 |
| 木更津駅東口〜西山長須賀〜溝下〜中郷小〜富岡〜草敷回転場 | 往2 復1 | 往2 復1 | 往2 復1 |
| 溝下〜中郷小〜富岡〜草敷回転場 | 1 | 1 | 0 |
1932年(昭和7年) 8月 吉田直 下郡〜横田〜野里(現平岡小付近)の路線を開設。(房総の乗合自動車)
1933年(昭和8年) 6月 吉田直 馬来田村真理〜下郡〜戸崎間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
昭和初期 君津合同自動車(株)により吸収。(房総の乗合自動車)
1943年(昭和18年) 10.28 安房合同自動車(株) 君津合同自動車(株)を合併する。(房総の乗合自動車)
1944年(昭和19年) 7月 安房合同自動車(株) 日東交通(株)に改称する。(房総の乗合自動車)
2000年(平成12年) 10.1 日東交通 中郷線、富岡循環線を廃止。木更津市代替の中郷・富岡線となる。
平成13年に廃止された中郷のぞみ野線(木更津駅〜西山長須賀〜上岩井〜のぞみ野ターミナル)と、富岡循環(木更津駅〜大田〜かずさアーク〜草敷〜横田〜祇園踏切〜清見台〜木更津駅)を統合したもので、木更津市代替バスとして運行されている。中郷のぞみ野線は木更津駅から北上後小櫃川北岸の田園地帯を経由してのぞみ野Tに至る路線で、かつては上岩井までの運行であった。上岩井停留所はのぞみ野T乗り入れ後にのぞみ野入口に改称されたらしい。田園地帯を通るだけに利用状況は芳しくなかったようだ。末期の本数は平日5本、休日4本である。統合に際してはのぞみ野方面に向かわなくなったため谷中〜岩井間を廃止、谷中から南下して横田に向かう区間が新設され、途中に大坪停留所が設置された。現在は木更津市の名が刻まれた専用のマイクロバスが充当され、車椅子でも乗車可能となっている。単独の自治体による代替バスでありながら、木更津市、袖ヶ浦市、君津市の三市を経由するのはかなり珍しい事例ではないかと思われる。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 木更津駅東口→国道請西→紅陵高校下→真舟団地→木更津駅東口 | 循28 | 循28 | 循17 |
| 木更津駅東口→国道請西→真舟団地 | 片1 | 片1 | 0 |
| 真舟団地→紅陵高校下→国道請西→木更津駅東口 | 片2 | 片2 | 0 |
木更津駅から南に延びる団地路線で開通日不明。本数はそこそこである。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 木更津駅東口→太田→中央高校前→アピタ木更津店→請西平川→木更津駅東口 | 循16 | 循12 | 循12 |
| 木更津駅東口→太田→中央高校前→請西平川→木更津駅東口 | 循2 | 循2 | 循2 |
| 太田郵便局→中央高校前→請西平川→木更津駅東口 | 往1 | 往1 | 往1 |
2002年(平成14年) 1.30 アピタ木更津店への乗り入れを開始。
太田循環は中央高校への通学の足としてのほか、近年開発された請西地区への足としての役割を担う。最近アピタ木更津店への乗り入れを開始した。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 木更津駅東口〜中央病院下〜波岡〜シーアイタウン | 40 | 40 | 33 |
? 運行開始
2003年(平成15年) 7.15 君津中央病院への乗り入れを開始。
木更津駅と住宅団地を結ぶ路線で、途中まで急行運転となる。開通年次は不明だが、シーアイタウンの完成は昭和51年である。なお、平成15年7月15日より平日日中のみ君津中央病院の玄関前への乗り入れを開始した。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 木更津駅東口〜中央病院下〜下烏田〜八幡台ニュータウン八幡台ニュータウン | 35 | 35 | 30 |
? 運行開始
? 八幡台中央〜八幡台NT間を延長。
2003年(平成15年) 7.15 君津中央病院への乗り入れを開始。
シーアイタウン線と同じく木更津駅と住宅団地を結ぶ路線で、途中まで急行運転となる。かつての終点は八幡台中央であるが、現在は延長されている。八幡台ニュータウンの入居開始は昭和50年8月なので、路線開設もその頃だろう。シーアイタウン線と同じく、平成15年7月15日より平日日中のみ君津中央病院の玄関前への乗り入れを開始した。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 木更津駅西口〜新宿〜市営球場入口〜清見台団地 | 33 | 33 | 33 |
| 木更津駅東口〜畳ケ池〜市営球場入口〜高専前〜清見台団地 | 10 | 10 | 10 |
| 木更津駅東口〜太田〜高専裏〜県職住宅前〜清見台団地 | 13 | 13 | 13 |
1968年(昭和43年) 7月 木更津駅西口〜立体交差橋〜高専前間を開通。(大地を開く 清見台土地区画整理事業の歩み)
1972年(昭和47年) 高山台ハイツ(現清見台団地停留所)まで延長。(同上)
1980年(昭和55年) 12.10 木更津駅東口〜太田〜清見台団地、木更津駅東口〜畳ヶ池〜清見台団地線を開設。西口発着便を増回。(同上)
木更津駅と清見台団地を結ぶ路線で、3系統存在する。いずれも日東・小湊の共同運行で、新宿町経由便と畳ヶ池経由便は担当便がしっかり決まっているが、太田経由便は各便とも両社1日おきに担当する形になっている。最も古いのは西口発着便で昭和43年7月の開設。当初高専前までの折り返し運行で、1時間に1本程度だった。昭和47年には高山台ハイツまで延長され現在の姿になった。 その後清見台地区の人口増加を受け、昭和55年には東口発着の2路線が新設されたほか、西口発着便が20分間隔に増便されることとなり、ほぼ現在の運行形態になっている。
小湊鐵道のページ参照
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 木更津駅西口〜桜井〜青堀駅〜富津公園 | 20 | 13 | 13 |
| 木更津駅西口〜桜井〜青堀駅〜イオン富津SC〜富津公園 | 11 | 11 | 11 |
1925年(大正4年) 7月 小川国松 木更津〜青堀間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
大正末ごろ 富秀一 青堀〜富津間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
〜1930年(昭和5年) 畑とよ 青堀〜富津間の路線を買収。(房総の乗合自動車)
〜1934年(昭和6年) 君津合同自動車(旧君津自動車)により吸収される。(君津市史)
1943年(昭和18年) 10.28 安房合同自動車(株) 君津合同自動車(株)を合併する。(房総の乗合自動車)
1944年(昭和19年) 7月 安房合同自動車(株) 日東交通(株)に改称する。(房総の乗合自動車)
1946年(昭和21年) 4.1 戦時中に休止されるが復活。
2003年(平成15年) 2.16 日中の一部便がイオン富津ショッピングセンターに乗り入れ開始。
木更津駅から富津岬先端の富津公園に至る路線。戦時中一時運行を中断したが、戦後まもなくの昭和21年4月1日に再開され、以後日東交通の主力路線として走り続け、現在もほぼ20〜30分おきに運行されている。途中大和田付近までは広い産業道路のすぐ脇を走る県道90号、すなわち旧国道16号を経由する。工場群が広がる産業道路とは異なり、古めかしい町並みを曲がりくねりながら進んでいく。2車線ながらかなり狭く、主として短尺車が使用される。大和田からは県道90号から国道16号に名を変え、小糸川を渡ると富津市に入りやがて青堀駅に到着し、ここで乗客のほとんどが入れ替わる。青堀駅から先は岬に近づくにつれ徐々に風景がひなびていき、やがて富津岬の市街地に入る。終点の富津公園は降車場のみとなっており、富津公園始発便はすべて富津公園のひとつ先の富津公園入口から乗車するようになっている。ただし夏休み中は富津公園降車場の先にあるジャンボプールまで延長運転されるほか、休日も平日ダイヤで運行される。
また、平成15年2月より日中の一部便がイオン富津ショッピングセンターに乗り入れを開始した。運行経路は亀下の南のT字路を曲がり、大堀二丁目、ふれあい公園(新設)、イオン富津SC、駒井鉄工寮前、大堀二丁目と巡回する。ふれあい公園以外は既存にイオン富津線と同一の停留所を使用し、イオンの停留所の位置関係により西側からしか進入できないためこのような経路となった。今回の改変にあわせ一部区間が値下げされた反面、トータルではかなりの減便となった。
・変更前
木更津駅西口〜青堀駅〜富津公園 平日土曜41
休日31
・変更後
木更津駅西口〜桜井〜青堀駅〜富津公園 平日20 土休日13
木更津駅西口〜イオン富津〜富津公園 平日11
土休日11

| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 木更津駅西口〜木更津市役所前〜ソニー木更津 | 20 | 10 | 10 |
1962年(昭和47年) 11.1 木更津駅西口〜潮見一丁目〜木更津市役所線を開設?(広報きさらづ)
昭和55年〜昭和62年 ソニー木更津まで延長。
木更津駅東口から産業道路の西側を南下する路線。昭和47年11月に木更津市役所庁舎が現在の場所に移転しており、そのころの開設ではないかと思われる。往路は木更津駅→潮見一丁目→潮見二丁目→市役所、復路は潮見一丁目→潮見二丁目→市役所→木更津駅と循環し、本数は市役所行が30本、木更津駅行が27本だった。その後ソニー木更津まで延長され、やや減便されて現在に至っている。なお延長の際は以下のようにルート変更がおこなわれた。
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| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 | |
| 三島線 | 木更津駅西口〜法木作〜中島〜粟倉〜植畑本郷〜尾崎 | 2 | 2 | 2 |
| 木更津駅西口〜法木作〜中島〜粟倉〜清和中〜尾崎 | 2 | 2 | 2 | |
| 木更津駅西口〜法木作〜中島〜粟倉 | 6 | 3 | 3 | |
| 木更津駅西口〜波岡〜法木作〜中島 | 1 | 0 | 0 | |
| 周西線 | 君津製鉄所〜君津駅南口〜法木作〜中島 | 4 | 3 | 3 |
| 君津駅南口〜法木作〜中島 | 3 | 2 | 2 | |
| 君津製鉄所〜君津駅南口〜法木作〜中島〜粟倉 | 2 | 2 | 2 | |
| 君津駅南口〜法木作〜中島〜粟倉 | 5 | 4 | 4 | |
| 君津駅南口〜法木作〜中島〜清和中〜尾崎 | 1 | 1 | 1 | |
| 君津駅南口〜法木作〜中島〜植畑根形〜尾崎 | 1 | 0 | 0 | |
| 君津製鐵所〜君津駅南口〜法木作〜中島〜清和中〜植畑〜平田 | 2 | 2 | 2 |
1920年(大正9年) 7.28 小川国松 木更津町〜君津郡秋元村(現粟倉付近)までの路線を開設。(房総の乗合自動車)
1921年(大正10年) 5月 小川国松 秋元から2.6kmを延長。(房総の乗合自動車)
1921年(大正10年) 10月 小川国松 周西駅(現君津駅)〜法木作間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
1922年(大正11年) ? 長谷川新之助・小川国松 君津自動車(株)を設立。(房総の乗合自動車)
1927年(昭和2年) 12月 君津自動車 三島村二入まで延長。(房総の乗合自動車)
1931年(昭和6年) 10月 君津自動車 三島村正木まで延長。(房総の乗合自動車)
1931年(昭和6年) ?月 君津自動車(後の君津合同自動車) 西粟倉〜植畑間、市宿〜久留里間の支線を開設。(房総の乗合自動車)
1943年(昭和18年) 10.28 安房合同自動車(株) 君津合同自動車(株)を合併する。(房総の乗合自動車)
1944年(昭和19年) 7月 安房合同自動車(株) 日東交通(株)に改称する。(房総の乗合自動車)
2001年(平成13年) 4.1 メディカルスポーツセンター経由便を廃止。
2003年(平成15年) 7.15 三島線が君津中央病院への乗り入れを開始。
三島線、周西線は木更津、君津の各駅から君津市南部の山間部に至る路線。法木作で木更津からの三島線と君津からの周西線が合流する。途中粟倉までの区間便が主体で、粟倉以遠は三島線が植畑経由、東粟倉・清和中経由ともに2往復、周西線が各1往復(植畑経由は平日のみ)と少ない。また三島線には粟倉から清和中、植畑を循環し平田に至る系統が2本ある。平田には数台分の駐留スペース(スタフ上は平田車庫)があり時間調整などを行うようだ。
この路線の歴史は古く、まず大正9年に小川国松が木更津〜秋元間の路線を開設し、これを継承した君津自動車が昭和6年に三島村正木、現在の三島湖のあたりまで延長したことでほぼ原型が出来上がった。この路線が走る小糸川には発電所が多く設置されたことから戦後も特に休止されることなく運行されたが、西粟倉、植畑付近の路線は戦時中に休止されたまま長らく復活しなかったようだ。また木更津から法木作までのルートは現在と異なり桜井まで現在の富津公園線と同じく旧国道16号を経由していた。そして昭和20年代後半から昭和32年の間には桜井からさらに南の畑沢から分岐し坂田、周西(現アピタ君津店付近)、杢師、法木作を経て中島に向かう路線が新設され、これが後の周西線となる。周西線はやがて君津駅に乗り入れるようになり、昭和42年の段階では木更津〜中島間を7往復していた。同時期の三島線はすでに三島湖から豊英まで延長されており、15往復と現在よりも多かった。
その後昭和40年代後半から50年代前半までの間に周西線の木更津〜君津間が廃止され君津製鐵所、君津駅発着となり、朝の君津方面行と夕方の中島方面行が中島から清和中まで延長された。また、昭和47年の6月15日から12月15日までの間、川代トンネル工事のため粟倉〜東日笠間が植畑経由の迂回ルートを取ることとなった。現在の植畑経由便のルートと同一の箇所に停留所が新設されたが、許認可の関係で停留所の名称は東粟倉、清和中ルートのものと同一のものが用いられた。その後の詳細は不明だが、この迂回運転後しばらくして植畑経由便が正式に新設されたものと思われる。
時代は進み、昭和60年3月当時の三島線・周西線の運行状況は以下のとおりであった。
| 系統 | 回数 | |
| 三島線 | 木更津駅西口〜法木作〜中島〜粟倉〜植畑本郷〜豊英 | 5 |
| 木更津駅西口〜法木作〜中島〜粟倉〜清和中〜豊英 | 往7 復8 | |
| 木更津駅西口〜法木作〜中島〜粟倉〜清和公民館 | 往10 復11 | |
| 周西線 | 君津製鉄所〜中野西公園〜君津駅南口〜中島 | 往2 復3 |
| 中野西公園〜君津駅南口〜中島 | 往10 復8 | |
| 君津製鉄所〜中野西公園〜君津駅南口〜中島〜粟倉〜清和中 | 2 | |
| 中野西公園〜君津駅南口〜法木作〜中島〜粟倉〜清和中 | 復1 |
三島線の清和公民館停留所は粟倉から旧道にそれたところにあり折り返し場として利用されたが、平成12年ごろに国道469号新道を経由することとなったため廃止されている。周西線の始発停留所である中野西公園は当時貞元線の起終点でもあった。ディーマートを回って折り返していたのだが、単に買い物の便を図るためなのか他に理由があったのかはわからない。中野西公園折り返し便は貞元線も含め数年前に全廃されている。
その後周西線は平成6年ごろに豊英まで乗り入れるようになり、平成10年ごろには三島、周西線とも尾崎まで延長された。合わせて豊英付近の経路が旧道経由から新道経由に切り替わり豊英停留所は廃止された。しかし粟倉以南が平成12年に開設された急行木更津鴨川線と並行するようになると末端部の運行回数が徐々に減り始めている。実際に利用が期待できるのは中島から粟倉あたりまでであるから止むを得ないだろう。
なお、平成15年7月15日より三島線は君津中央病院の玄関前への乗り入れを開始した。
| 路線名 | 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 貞元線 | 君津製鐵所〜君津駅南口〜貞元社宅前〜周南公民館 | 5 | 5 | 5 |
| 君津製鐵所〜君津駅南口〜貞元社宅前〜周南公民館〜作木 | 1 | 1 | 1 | |
| 君津駅〜貞元社宅前〜周南公民館 | 1 | 1 | 1 | |
| 周南線 | 木更津駅西口〜八重原〜八幡市場前〜周南公民館 | 5 | 5 | 5 |
| 畑沢線 | 木更津駅西口〜裁判所前〜波岡〜畑沢〜君津市役所前〜君津駅南口 | 12 | 8 | 8 |
1913年(大正2年) 4月 笹生万吉 木更津〜上総湊間の乗合自動車を運行開始。(房総の乗合自動車)
1913年(大正2年) ? 笹生万吉 木更津〜上総湊間の路線を北条(館山)まで延長。(房総の乗合自動車)
〜1919年(大正8年) 鉄道の開通とともに路線縮小し、木更津〜北条間を順次廃止。
1932年(昭和7年) 7.1 原徳治 木更津〜小山野〜佐貫町間と佐貫町〜湊間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
〜1929年(昭和14年) 君津合同自動車(旧君津自動車)により吸収される。(房総の乗合自動車)
1943年(昭和18年) 10.28 安房合同自動車(株) 君津合同自動車(株)を合併する。(房総の乗合自動車)
1944年(昭和19年) 7月 安房合同自動車(株) 日東交通(株)に改称する。(房総の乗合自動車)
1965年(昭和40年) ? 日東交通 製鐵線木更津〜八重原〜製鐵所間の路線を開設。(ふるさと南子安 昭和の記録)
1970年(昭和45年) 12.1 日東交通 貞元線(製鐵所〜君津駅〜常代〜周南中学校〜木更津)を開設。(広報きみつ)
1977年(昭和52年) ? 日東交通 製鐵線の経路を変更し大和田経由となる。(広報きみつ)
1980年(昭和55年) 10? 貞元線の周南公民館〜作木間が延長される。(広報きみつ)
1981年(昭和56年) 4.1 子安地区区画整理事業の完成に伴い、南子安、北子安地区でルート変更を行う。(ふるさと南子安 昭和の記録)
昭和56年4月〜昭和60年3月 製鐵線が分割され、周南線、畑沢線、八重原線となる。
昭和60年〜昭和61年 木更津〜上総湊間の系統を廃止。
1986年(昭和61年) 1.1 君津市内循環線運行開始。(広報きみつ)
2001年(平成13年) 4.1 貞元線のメディカルスポーツセンター経由便と中野西公園折り返し便を廃止。
2003年(平成15年) 7.15 周南線・畑沢線が君津中央病院への乗り入れを開始。
畑沢線は平日1時間に1本程度運行され、主として小型車が充当される。畑沢地区から木更津駅、君津市役所への足としての役割を負うが、後述する君津市内循環との並行部分が多いため乗客はそれほど多くない。周南線は木更津駅から国道127号線を南下し八重原、周南方面に向かうが輸送量の少なさゆえか小型車が充当される。八重原団地から木更津駅までの利用が多く、周南公民館付近からの利用はあまりないようである。周南公民館からは貞元線が君津駅に延びているほか、全便八重原団地内を循環し時間がかかるため敬遠されるのだろう。本数も5往復しかない。もっとも周南地区は社宅があるものの山間部への入口にある小集落に過ぎないためそれほどの利用が望めないと思われる。
貞元線は君津駅から県道の南側を通り周南公民館に向かう。君津駅並びに製鐵所と市内循環がフォローしない貞元、常代、溝添、宮下といった小規模な社宅群を結ぶことが主目的といってよい。周南線と異なり周南公民館のひとつ先の作木まで足を延ばす系統があるが、朝の上りと夜の下りしかない。つい最近まで2往復だったが平成13年に1往復に減らされた。バスで行くのはほぼ不可能であり、仮に行ったとしても周辺のバス路線はすでに運行していないためタクシーに頼らざるをえない。鹿野山線の周南入口から作木を経由し周南公民館まで歩き、作木まで乗ったことにするのが無難だろう。今でこそわずか7往復であるが、平成13年4月以前には君津〜周南公民館でトータル13往復もあった。平成10年3月改正時のダイヤでは買い物客に配慮したためか中野西公園〜周南公民館の系統が4.5往復存在している。また平成5年2月2日にメディカルスポーツプラザがオープンすると貞元線からの乗り入れ便が新設され、平成10年改正時には1.5往復あったのだが、これも13年の改正で消滅した。
これらの路線の原型は新日鐵君津製鐵所の操業開始により誕生した君津製鉄線及び旧貞元線であり、それ以前に木更津駅から八重原方面へ南下する路線は木更津〜佐貫町・上総湊間の佐貫線1本のみであった。佐貫線の開業は大正2年と非常に古いが、鉄道の開通を機に一度廃止され昭和7年になるまで復活しなかった。その後戦後の混乱期に一時休止され、昭和24年ごろまでには復活している。当時のルートは木更津〜桜井〜畑沢〜周西(現君津市役所付近?)〜大山野〜佐貫町〜湊だったようだ。本数は非常に少なく、昭和38年では木更津〜佐貫町間が3往復、木更津〜上総湊間が1往復だった。また木更津〜周西間の折り返し便も存在したようだがはっきりしない。
その後高度経済成長期の君津町に君津製鐵所の操業開始を発端とする大変革が訪れた。君津製鐵所は当時日本最大級の製鉄所であり、操業開始に当たって九州はじめ全国各地から万を数える従業員とその家族がが君津、木更津周辺に集結した。「民族大移動」とも評されるこの集団移住に対応すべく、新日鉄やその関連各社は次々と社宅を建設していく。昭和38年から建設が始まった八重原社宅が昭和43年に完成したのを始め、昭和46年には大和田、畑沢の大規模社宅が次々と完成した。そしてこれら社宅群と製鐵所、木更津駅を結ぶ路線として、昭和40年に君津製鐵線が開業したのである。昭和42年11月に発行された『君津町総合開発計画』によれば木更津〜八重原団地〜南子安〜君津駅北口〜君津製鐵所間を7往復したとのことである。
その後昭和52年より経路の一部を変更し大和田社宅を経由するようになった他、昭和56年までには全部又は一部の便が畑沢社宅を経由し、団地内を循環して国道に127号に戻るようになった。ただ畑沢から県道90号線の坂田方面に抜けるルートの有無や当初から君津駅北口に乗り入れたかどうかついては確たる資料がなく不明とせざるを得ない。
製鐵線に続き昭和45年12月1日に貞元、溝添、宮下の各社宅を経由する貞元線が開通し、木更津駅〜周南中学校〜貞元〜君津駅〜新日鉄間を8往復するようになった。『富津市史』によると木更津駅〜法木作〜周南公民館〜作木〜周南公民館〜貞元社宅〜君津駅前(現アピタ付近)〜君津駅北口−花野井−訓練所前−坂田−正門入口−サービスセンター前−大和田社宅入口(現大和田?)−浜新田−工場入口となっていた。なお現在の周南中学校停留所はかつて宮下社宅という名称であり、開業当初ここで反転してそれぞれ君津、木更津方面に向かっていた。その後昭和50年代初頭に周南公民館まで延長されたらしい。作木まで延長されたのは昭和55年10月ごろである。かつての佐貫線である木更津駅〜上総湊駅系統は貞元線に統合され、上総湊系統を含む全便が一度周南公民館まで足を延ばしてからそれぞれの行き先に向かっていた。また、貞元線は昭和56年に子安地区における区画整理の完成に伴い経路変更を行った。それまでの南子安停留所が北子安に改称し、新たに南子安停留所が設置されている。
| 乗り場 | 路線名 | 終点 | 本数 |
| 東口3 | 貞元 | サービスセンター | 1.5 |
| 東口3 | 貞元 | 君津駅南口 | 10 |
| 東口3 | 貞元 | 周南公民館 | 1 |
| 東口3 | 貞元 | 常代社宅 | 0.5 |
| 東口3 | 貞元 | 上総湊駅 | 3 |
| 西口3 | 製鐵 | 八重原団地 | 16 |
| 西口3 | 製鐵 | サービスセンター | 13 |
| 西口3 | 製鐵 | 畑沢社宅 | 0.5 |
以上が昭和50年代までの製鐵・貞元線の概要である。開通当初は各社宅群と君津製鐵所、木更津駅を結ぶ形態であり、君津駅はやや軽視されていた。しかし、昭和44年7月11日に木更津〜千倉間が電化されたのち、君津駅の始発駅としてのターミナル性が徐々に高まっていく。昭和47年7月15日に4往復設定された君津〜東京間の快速電車は昭和53年に5往復となり、さらに昭和55年には横須賀線直通を契機に快速が8往復となった。同時に君津始発の普通列車も増発されていった。そしてついに昭和60年3月14日には晴れて特急列車の5往復停車が実現することとなった。このような流れの中で、各社宅群を結ぶ各路線の運行体系を木更津中心のそれ君津駅を中心に改める必要が生じ、再び大規模な改変へとつながっていった。
まず製鐵線は昭和56年5月以降昭和60年までの間に木更津駅〜八重原〜周南公民館の周南線と製鐵所〜君津駅〜北子安〜周南公民館を結ぶ八重原線、木更津〜畑沢〜君津間の畑沢線に分割された。旧貞元線の一系統であった木更津〜木更津〜上総湊間の系統は周南線に統合され、昭和60年には木更津〜八重原寮〜周南公民館までが16往復、木更津〜八重原寮〜周南中〜周南公民館〜周南中〜上総湊間が3往復であった。また八重原線は昭和60年の段階で君津駅折り返し便も含め八重原発10本、君津製鐵所発8本という体制で運行された。畑沢線は新設された畑沢から陽光台を経由して君津駅に抜けるルートを経由し、昭和60年には20.5往復した。
貞元線はほぼ同時期に木更津〜周南口間が廃止され、製鐵所〜中野西公園〜君津駅〜貞元〜周南公民館〜作木間の運行となった。君津製鐵所への乗り入れは朝夕の4往復のみとなり、日中は中野西公園での折り返しとなった。トータル13往復であったのが平成13年に減便され、ほとんどが君津製鐵所折り返しに変更されたのは前述のとおりである。なおかつて貞元線が経由した君津駅北口から県道159号線を経由し坂田に向かう経路も同時期に廃止されたようだ。そして昭和61年には八重原線が君津市内循環として再編され、各社宅群と君津駅、君津製鐵所を連絡する役割を担うことになる。
なお、平成15年7月15日より周南線と畑沢線は君津中央病院の玄関前への乗り入れを開始した。
| 路線名 | 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 君津 市内循環A |
君津駅北口→畑沢→君津製鐵所→健康センター→大和田→君津駅→市役所→友好館前 | 往13 | 往13 | 往13 |
| 君津駅北口→畑沢→君津製鐵所→大和田→君津駅→市役所→友好館前 | 往2 | 往2 | 往2 | |
| 君津駅北口→畑沢→君津製鐵所→健康センター→大和田→君津駅→水道山下→友好館前 | 往1 | 往1 | 往1 | |
| 君津駅北口→畑沢→君津製鐵所 | 往2 | 往2 | 往2 | |
| 君津駅北口→市役所→友好館前 | 往1 | 往1 | 往1 | |
| 君津製鐵所→健康センター→大和田→君津駅→市役所→友好館前 | 往1 | 往1 | 往1 | |
| 君津製鐵所→大和田→君津駅→市役所→友好館前 | 往4 | 往4 | 往4 | |
| 畑沢→君津製鐵所→大和田→君津駅北口 | 往1 | 往1 | 往1 | |
| 君津 市内循環B |
八重原マーケット→市役所→君津駅→大和田→健康センター→君津製鐵所→畑沢→君津駅北口 | 往14 | 往14 | 往14 |
| 八重原マーケット→水道山下→君津駅→大和田→健康センター→君津製鐵所→畑沢→君津駅北口 | 往1 | 往1 | 往1 | |
| 八重原マーケット→市役所→君津駅→大和田→君津製鐵所→畑沢→君津駅北口 | 往3 | 往3 | 往3 | |
| 八重原マーケット→市役所→君津駅→大和田→君津製鐵所 | 往1 | 往1 | 往1 | |
| 八重原マーケット→市役所→君津駅北口 | 往1 | 往1 | 往1 | |
| 君津製鐵所→畑沢寮前→君津駅北口 | 往2 | 往2 | 往2 |
1986年(昭和61年) 1.1 君津市内循環線運行開始。(広報きみつ)
1986年(昭和61年) 12.1 八重原〜水道山下〜君津駅〜大和田〜健康管理センター〜君津製鐵所間の系統を新設。(広報きみつ)
2001年(平成13年) 4.1 ルートを陽光台経由に変更し、君津駅〜畑沢〜製鉄〜大和田〜君津駅〜八重原間の運行とする。
昭和61年に八重原線のルートを大幅に変更して誕生した系統で、八重原、畑沢、大和田の各社宅群と君津駅、君津製鐵所間を結ぶほか、君津市内の循環系統としての役割を負う。当初の運行形態は八重原団地を起終点とし、畑沢→製鐵所→大和田→君津駅→市役所→八重原がA回り、市役所→君津駅→大和田→製鐵所→畑沢→八重原がB回りとなり、それぞれ八重原マーケット前が起点、友好館が終点となり団地内の循環部を一通り回る形式となった。運行回数は八重原線時代の10回から倍増し、計21回であった。また朝夕を除き製鐵所に隣接した君津健康センターへ乗り入れた。開業当初は乗客数が予想を上回るなどなかなか好調だったようだが、遅延により内房線との接続に問題が生じため、運行開始直後の1月19日に朝夕のダイヤの調整を行っている。次に同年12月1日には水道山下経由便が新設された。これは八重原〜君津駅間を最短距離で結ぶもので、八重原〜水道山下〜君津駅北口〜大和田〜製鐵所間を3往復した。(八重原発初便は君津駅行)
その後特に変化のないまま10年余りが経過したが、平成13年4月にそれまでの八重原団地を起点とする循環運転を取りやめ八重原団地〜君津駅〜大和田〜製鐵所〜畑沢〜君津駅間を6の字型で運行する形態に改められた。畑沢団地から陽光台を経由して君津駅北口に至るルートが新設され、似たようなルートをたどる畑沢線が若干減便された。また水道山下経由便は君津駅〜八重原間の別ルートとして存続したものの、AB両回りで1本ずつと大幅に減便された。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 君津製鐵所〜君津駅南口〜君津市役所前〜市民体育館〜中島 | 1.5 | 1.5 | 1.5 |
| 君津製鐵所〜メディカルスポーツプラザ〜君津駅南口〜君津市役所前〜市民体育館〜中島 | 1 | 1 | 1 |
| 君津駅南口〜君津市役所前〜市民体育館〜中島 | 6 | 6 | 5 |
1994年(平成2年) 11.1 君津市内線運行開始。(ふるさと南子安 昭和の記録)
2001年(平成13年) 4.1 メディカルスポーツセンター折り返し便を君津製鐵所まで延長。
君津と中島を結ぶ路線で、周西線が経由する東へのメインストリートの北側の道を走り、子安地区の区画整理された新興住宅地を横断する。国道127号以東は房総スカイラインへ通じる道を走り、文化ホールの先を曲がって周西・三島線に合流、中島に至る。沿線に市役所、運動公園、市民体育館や文化ホールなどの施設を擁し本数こそ多くないがそれなりの利用がある。文化ホール付近は田畑が広がり建物の奇抜な外観がかなり目立つ。平成5年にメディカルスポーツセンターが建設されたのち中島〜メディカルスポーツ間の系統が設置され、平成13年4月1日に当時1往復残っていた中島〜メディカルスポーツプラザ間の便を君津製鐵所まで延長した。平成13年までは他にも貞元線が1.5往復、周西線が2往復メディカルスポーツセンターに乗り入れていたが、現在は君津市内線が1往復乗り入れるのみとなっている。免許維持のため細々と運行しているような感だが、平成14年11月1日現在の車内掲示路線図にメディカル経由便の記載がないためいつ廃止されてもおかしくない。この施設は海沿いの産業道路に面しており、バスで行くような場所ではなさそうである。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 君津駅北口〜青堀鉱泉〜青堀駅〜イオン富津SC | 9 | 9 | 9 |
| 君津駅北口〜青堀鉱泉〜青堀駅〜富津営業所 | 1 | 1 | 1 |
1995年(平成7年) 12.2 君津駅北口〜大和田D1棟前〜イオン富津SC間を新設。
2000年(平成12年) 11.16 大和田団地のA4棟前、D1棟前を経由しなくなる。
2002年(平成14年) 7.20 君津台への乗り入れを開始。君津台東、君津台中央、君津台西停留所を新設。
平成7年12月2日より運行開始となった路線。君津駅と富津のジャスコを結ぶ路線である。当初大和田陸橋から団地内のD1棟前を経由していたが、平成12年11月16日から大和田団地内の乗り入れを取りやめている。さらに平成14年7月20日より君津駅の北西にある君津台の新興住宅地を経由するようになった。富津君津線は君津駅〜富津営業所間の運行でイオン富津SC線の出入庫便。君津駅での余裕時分は上下とも0分となっているほか、君津台を経由せず短絡ルートを取る。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 清見台団地〜市営球場入口〜駅前通り〜桜井〜君津製鉄所 | 1 | 0 | 0 |
清見台団地と君津製鉄所を往復する急行路線。平日のみの運行で駅を経由しないため部外者の乗車は難しい。清見台団地を出ると中央公園、高専前、幼稚園入口、組合事務所、市営球場入口、駅前通り、学校前、二小前、新田郵便局、貝渕、桜井、小浜、東門入口、畑沢、君津製鐵所の順に停車する。最近まで清見台団地発は2本あったのだが、平成12年ごろに1本減らされている。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 木更津駅東口〜マザー牧場 | 0 | 1 | 1 |
シーズン中の土日のみ運行され、国道127号線を経由して木更津駅とマザー牧場を結ぶ。平成11年7月18日の運行開始でそれまでは君津駅とマザー牧場を結んでいた。木更津発着としたのはアクアライン開通による高速バスとの接続を考慮したためであろう。
マザー牧場のある鹿野山周辺は古くから観光地として知られ、戦後まもない昭和25年に日東交通が木更津〜福岡〜鹿野山〜佐貫〜富津〜木更津の循環路線を観光目的で開設している。これがおそらくマザー牧場線のルーツとなるようだ。その後循環運行は取りやめとなり木更津〜鹿野山間の運行となった。昭和40年ごろには木更津港とマザー牧場、鹿野山を結ぶフェリー連絡路線として存在し、本数もそれなりにあったようだ。当時のルートは法木作から中島、方面に向かうもので、福岡から分岐して鹿野山を登っていた。昭和40年代後半ごろより127号経由のルートとなったらしく、その後徐々に本数が減って今に至っている。
| 下り | ● | ● | 上り | ● | ● | ||||||||||
| 木更津港フェリー乗り場 | 835 | 938 | 1040 | 1040 | 1348 | 1428 | 1605 | マザー牧場 | ・・ | 1100 | 1240 | 1450 | 1510 | ・・ | ・・ |
| 木更津駅 | 840 | 950 | 1050 | 1110 | 1400 | 1500 | 1610 | カントリー倶楽部 | 930 | | | | | | | | | 1555 | 1700 |
| カントリー倶楽部 | 930 | | | | | | | | | 1550 | 1700 | 鹿野山神野寺 | 931 | 1110 | 1250 | 1500 | 1520 | 1600 | 1701 |
| 鹿野山神野寺 | ・・ | 1050 | 1140 | 1210 | 1450 | ・・ | ・・ | 木更津駅 | 1020 | 1200 | 1340 | 1600 | 1610 | 1650 | 1750 |
| マザー牧場 | ・・ | 1100 | 1150 | 1220 | 1500 | ・・ | ・・ | フェリー乗り場 | 1023 | 1203 | 1343 | 1605 | 1613 | 1703 | 1753 |
| ●印−9/2〜11/23と3/20〜6/9の日祝日のみ(安房鴨川行)(上総湊行) 所要70分 |
|||||||||||||||
| 君津駅〜下飯野〜大貫駅〜佐貫町駅 |
昭和30年代前半? 開設。
1983年(昭和58年) 9.1 廃止。(広報きみつ)
君津駅南口から貞元線と同じ経路で南下し、自動車学校前を右折し県道158号線を走行し、堰端から県道157号線に合流し大貫に至る路線。堰端〜教習所間は現在の富津市役所線と同一であるが、飯野線は大貫駅の東口には入らず千種新田から国道127号線に合流していた。開通は昭和30年前後で昭和38年の段階で君津〜大貫間を3往復していた。その後4往復に増発されたものの昭和50年代には朝夕のみ2往復となってしまった。晩年は佐貫町駅まで延長されたが利用者の減少が止まらず昭和58年に運行休止された。
| 久留里駅〜月崎 |
1920年(大正9年) 12.24 川崎清二 久留里〜月崎間の路線を開設。(房総の乗合自動車)
1932年(昭和7年) 11.28 吉田直と川崎清二が南総自動車(合)を設立。(房総の乗合自動車)
1943年(昭和18年) 8.11 不急不要路線として廃止。(房総の乗合自動車)
〜昭和28年 日東交通の手により復活。
昭和40年代前半。廃止。
かつて久留里線が軽便鉄道であまりにも不便であった頃、ようやっと月崎まで開通した小湊鐵道に連絡すべく開通した路線。日にわずかしか運行されない軽便鉄道に語と語と揺られて木更津に出るよりも、月崎から五井に出るほうが便利だったらしい。しかし久留里線の輸送力が増強するにつれ存在意義が薄れていき、戦時下の昭和18年に不急不要として廃止された。戦後復活したものの人家に乏しい月崎に出てもあまり意味がないため、短命に終わったようだ。
| 木更津駅西口〜二小前〜二中前〜請西平川 |
1963年(昭和38年) 日東交通 木更津駅(西口?)〜請西間を開設。(木更津市勢要覧)
昭和61年ごろ廃止。
木更津駅西口を出発し、内房線を渡り請西平川に至る路線。末期のルートは木更津駅−中央二丁目−裁判所前−専売公社前−二小前−木更津高前−二中前−自動車専門学校−請西平川で、現在高倉線などのルートの南を走る細い道を経由していた。なお昭和40年代の運行回数は5往復だった。
| 木更津駅〜君津市役所〜富津公園 |
2001年(平成12年) 8.21 廃止。
富津公園線は西口発着であるが、この路線は高速バス乗り場である東口8番乗り場を発着していた。末期の本数は平日4本、土曜2本である。木更津営業所、富津営業所に加え本社高速バス課も運行に加わっていた。運行開始年次は不明。バス協会の地図にも平成6年現在の車内掲示路線図にも掲載されていない。
| 系統 | 平日 | 土曜 | 休日 |
| 木更津駅東口〜国道請西〜君津中央病院 | 8 | 0 | 0 |
2003年(平成15年) 7.15 廃止。
急行2系統の各駅停車のような存在で、土休日運休の純然たる通院路線であった。新病院開院にともない国道を経由するすべての路線が君津中央病院の玄関前まで乗り入れるようになったため、平成15年7月15日をもって廃止された。なお、昭和61年以降ダイヤ改正が一度もなかった。